2018年03月09日
2018年03月07日
言 葉
=:ぎゃね(げぇね)
意味(ニュアンス)
=:面白くない
用例・用法
=:ぎゃね天気だっちゃなぁ
解説(解読)
=:天気が良くないねぇ
備 考
=:芸が無い>げぇね
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=:ぎゃね(げぇね)
意味(ニュアンス)
=:面白くない
用例・用法
=:ぎゃね天気だっちゃなぁ
解説(解読)
=:天気が良くないねぇ
備 考
=:芸が無い>げぇね
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2018年03月04日
小学校の頃に野球を教えてくれて、一緒にやってくれた人。
小学校の2年生ぐらいまではテニスボールのような軟らかいボールで、近所の友達何人かと野球をするのが晴れた日の日課だった。
3年生になった頃になぜか民区(地区)の野球チームに入ることになった。ボールもそれまでのテニスボールのような軟らかいものでは無く、軟式野球用のいわゆる軟球である。
3、4年生なると民区のチームに入って野球をする習慣になっていた。一応は公式のチームに入れるのであった。
対外試合は、やはり他の民区とやるというのが普通だった。今のようにクラブチームやリトルリーグなどはあるはずも無い。また、5、6年生になると小学校のクラブで、他校との対外試合をやるようになっている。
やはり同級生の野球好きが何人か同じ民区にいて、彼らとも何度も野球をやっていた。同じ民区なのでもちろん同じチームに所属していた。
当然、一つ先輩も同じチームに所属している。その中に彼がいた。同じ民区なので住んでいる家もそんなに離れていない。
それでも、小さいころからやっていた軟らかいボールの野球のときは一緒にやったことは無かった。
突然俺の野球という視界の中に現れた彼は、ひょっとしたらどこからか転校してきたのかも知れない。
彼はキャッチャーで小学生の低学年から見たら、妙に大人っぽくてとても格好良かった。特に守備に着いたときに、キャッチャーマスクを手に持って全員に掛け声をかける姿が格好良かった。
そいう姿に憧れた俺は、やはり草野球や後の中学、高校ののクラスマッチの野球では、マスクを被りキャッチャーをやっている。
対外試合は記憶にあるのは1度だけである。もちろん彼はキャッチャー、俺は何とかライトのポジションに入っていた。その試合で俺が打ったかどうかは覚えていない。守備から攻撃に移るときに走ってベンチに戻ってきたとき、すごく緊張していたのを思い出す。
残念ながら、彼も打てたのかどうか、そして試合に勝ったのかどうか、それより、どこのチームとやったのかさえ思い出せない。
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小学校の2年生ぐらいまではテニスボールのような軟らかいボールで、近所の友達何人かと野球をするのが晴れた日の日課だった。
3年生になった頃になぜか民区(地区)の野球チームに入ることになった。ボールもそれまでのテニスボールのような軟らかいものでは無く、軟式野球用のいわゆる軟球である。
3、4年生なると民区のチームに入って野球をする習慣になっていた。一応は公式のチームに入れるのであった。
対外試合は、やはり他の民区とやるというのが普通だった。今のようにクラブチームやリトルリーグなどはあるはずも無い。また、5、6年生になると小学校のクラブで、他校との対外試合をやるようになっている。
やはり同級生の野球好きが何人か同じ民区にいて、彼らとも何度も野球をやっていた。同じ民区なのでもちろん同じチームに所属していた。
当然、一つ先輩も同じチームに所属している。その中に彼がいた。同じ民区なので住んでいる家もそんなに離れていない。
それでも、小さいころからやっていた軟らかいボールの野球のときは一緒にやったことは無かった。
突然俺の野球という視界の中に現れた彼は、ひょっとしたらどこからか転校してきたのかも知れない。
彼はキャッチャーで小学生の低学年から見たら、妙に大人っぽくてとても格好良かった。特に守備に着いたときに、キャッチャーマスクを手に持って全員に掛け声をかける姿が格好良かった。
そいう姿に憧れた俺は、やはり草野球や後の中学、高校ののクラスマッチの野球では、マスクを被りキャッチャーをやっている。
対外試合は記憶にあるのは1度だけである。もちろん彼はキャッチャー、俺は何とかライトのポジションに入っていた。その試合で俺が打ったかどうかは覚えていない。守備から攻撃に移るときに走ってベンチに戻ってきたとき、すごく緊張していたのを思い出す。
残念ながら、彼も打てたのかどうか、そして試合に勝ったのかどうか、それより、どこのチームとやったのかさえ思い出せない。
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2018年02月27日
バイクのこと
今はちょっと余裕が無いので乗ってはいないのだけど、自分はバイクも好きだ。
メカニック的なことは弱いので、どちらかというと乗るのが専門という感じ。
でも、プラグ交換ぐらいはできるけど。
初めてバイクに跨ったのはいつごろかな。
多分小学校の2年か3年ぐらいだったと思う。
小学校の職員用の自転車置き場にホンダのカブかヤマハのメイトが置いてあった。
それに跨って一著前に乗っている気になっている。
案外その遊びが楽しかったんだろうなぁ。こうして何十年も経った今でも覚えているから。
ちゃんとエンジンを回して走ったのは、多分中3の時かな。
その時は余り興味が無かったんだけど、1つ上の先輩が高校に入ってバイクの免許を取った。
そして原チャリに乗って友達の家に遊びに来た。調度自分も友達の家に遊びに行っていたので、彼の家の近所をグルっと走り回った。
一時停止で止まって、そこから発進するときに、前輪が浮き上がってウィリー状態になったのは怖かったなぁ。
自分の意思で、乗りたいと思って運転したのは高校に入ってからかな。
それでも、自分の高校はバイク免許は禁止だったので、こっそりと乗ったり工事中の堤防でモトクロスの真似事をした。
結構斜度のある盛土を一気に上ったりジャンプしたり。楽しかったなぁ。
ある時、堤防で斜面を登りきったときにアクセルを戻すのを忘れて、ジャンプしてしまったなぁ。そして転倒して自分の足の上でタイヤが回っていことがあった。
そのバイクは軽かったので擦り傷ぐらいで済んだから良かったけどね。
やんちゃだったな。
仙台に就職したときに、自分のお金でバイクを買った。
ホンダモンキーのクラッチ付きの中古を10回払いで。
原チャリだったけど、それで仙台の街中をあちこちと走り回った。
ローンが完済しないうちに、会社の入り口の歩道に乗り上げて滅茶苦茶になってしまってお仕舞だった。
それでも怪我は擦り傷程度だったから、幸運だ。(笑)
一関に戻ってきてから自動二輪を取った。
当時は中型という名称で400ccまでバイクに乗れる免許である。
必死になってお金を貯めて、250ccのバイクを買った。
そのバイク、レッドゾーンが17000回転なんていう、恐ろしいバイクだったなぁ。
でも、トルクは厚くて街中でも扱いやすかった。逆にアクセルを開けると結構早くて、平気で180km/hぐらいのスピードは出ていたな。
色々と走り回るのが好きだったので、そのバイクではよくツーリングに行ったり、峠に行ったりした。
また余裕ができたらバイクに乗りたいなと思っている。
大きなバイクでなくともいい、高速道路を走れる程度のバイクでもいいから。
そして、またツーリングをしたいなぁと、密かに企んでいる。(笑)
The End.
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今はちょっと余裕が無いので乗ってはいないのだけど、自分はバイクも好きだ。
メカニック的なことは弱いので、どちらかというと乗るのが専門という感じ。
でも、プラグ交換ぐらいはできるけど。
初めてバイクに跨ったのはいつごろかな。
多分小学校の2年か3年ぐらいだったと思う。
小学校の職員用の自転車置き場にホンダのカブかヤマハのメイトが置いてあった。
それに跨って一著前に乗っている気になっている。
案外その遊びが楽しかったんだろうなぁ。こうして何十年も経った今でも覚えているから。
ちゃんとエンジンを回して走ったのは、多分中3の時かな。
その時は余り興味が無かったんだけど、1つ上の先輩が高校に入ってバイクの免許を取った。
そして原チャリに乗って友達の家に遊びに来た。調度自分も友達の家に遊びに行っていたので、彼の家の近所をグルっと走り回った。
一時停止で止まって、そこから発進するときに、前輪が浮き上がってウィリー状態になったのは怖かったなぁ。
自分の意思で、乗りたいと思って運転したのは高校に入ってからかな。
それでも、自分の高校はバイク免許は禁止だったので、こっそりと乗ったり工事中の堤防でモトクロスの真似事をした。
結構斜度のある盛土を一気に上ったりジャンプしたり。楽しかったなぁ。
ある時、堤防で斜面を登りきったときにアクセルを戻すのを忘れて、ジャンプしてしまったなぁ。そして転倒して自分の足の上でタイヤが回っていことがあった。
そのバイクは軽かったので擦り傷ぐらいで済んだから良かったけどね。
やんちゃだったな。
仙台に就職したときに、自分のお金でバイクを買った。
ホンダモンキーのクラッチ付きの中古を10回払いで。
原チャリだったけど、それで仙台の街中をあちこちと走り回った。
ローンが完済しないうちに、会社の入り口の歩道に乗り上げて滅茶苦茶になってしまってお仕舞だった。
それでも怪我は擦り傷程度だったから、幸運だ。(笑)
一関に戻ってきてから自動二輪を取った。
当時は中型という名称で400ccまでバイクに乗れる免許である。
必死になってお金を貯めて、250ccのバイクを買った。
そのバイク、レッドゾーンが17000回転なんていう、恐ろしいバイクだったなぁ。
でも、トルクは厚くて街中でも扱いやすかった。逆にアクセルを開けると結構早くて、平気で180km/hぐらいのスピードは出ていたな。
色々と走り回るのが好きだったので、そのバイクではよくツーリングに行ったり、峠に行ったりした。
また余裕ができたらバイクに乗りたいなと思っている。
大きなバイクでなくともいい、高速道路を走れる程度のバイクでもいいから。
そして、またツーリングをしたいなぁと、密かに企んでいる。(笑)
The End.
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2018年02月19日
2001/12/30(Sun)
さて、そろそろ今年も終わろうとしています。
今年はずいぶんと色々あったように思うのだが、やはり一番記憶に残っているのは「米国テロ事件」だろう。あれほどインパクトが強く強烈な出来事は無かった。
次に「国内狂牛病問題」である。対岸の火事とばかり思っていた出来事が日本でも起きてしまった。その他にも悲しい事件・事故が多かったように思う。
自分を振り返れば、さほどいつもの年と変わらぬ平凡な1年だった。
まぁ、その平凡というのが本当は一番幸せなことだろう。
来年はというと、今年行く回数が極端に少なかった波乗りをもうちょっと多く楽しみたいと思っている。
なんやかやで海へいけなかったりしていたのだが、なんとか行ける回数を増やしたいと思っている。
それと「一枚の写真」で公開できるような写真を撮りに行くということ。
そろそろ手持ちのストックも減ってきたので、あそこに載せる写真が・・・・。
というような事で、オークションで三脚やらレンズを買ってしまったのだから、なんとか元を取れるような写真を撮らなくちゃ。(笑)
まぁ、このぐらいのことか。(汗)
それでは皆様、よいお年を。
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さて、そろそろ今年も終わろうとしています。
今年はずいぶんと色々あったように思うのだが、やはり一番記憶に残っているのは「米国テロ事件」だろう。あれほどインパクトが強く強烈な出来事は無かった。
次に「国内狂牛病問題」である。対岸の火事とばかり思っていた出来事が日本でも起きてしまった。その他にも悲しい事件・事故が多かったように思う。
自分を振り返れば、さほどいつもの年と変わらぬ平凡な1年だった。
まぁ、その平凡というのが本当は一番幸せなことだろう。
来年はというと、今年行く回数が極端に少なかった波乗りをもうちょっと多く楽しみたいと思っている。
なんやかやで海へいけなかったりしていたのだが、なんとか行ける回数を増やしたいと思っている。
それと「一枚の写真」で公開できるような写真を撮りに行くということ。
そろそろ手持ちのストックも減ってきたので、あそこに載せる写真が・・・・。
というような事で、オークションで三脚やらレンズを買ってしまったのだから、なんとか元を取れるような写真を撮らなくちゃ。(笑)
まぁ、このぐらいのことか。(汗)
それでは皆様、よいお年を。
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2018年02月17日

15日(金)、ベーシストのビクター・ウッテンのライブがあったので、ビルボード・東京で観てきた。
やっぱり上手いなぁ。。
わざわざこっちから東京まで行った甲斐があったよ。
テクニックもそうだけど、エンターテイメントとしても楽しめた。
サンプラーで自分の音を1音ずつ重ねていくのは、素晴らしい発想だったなぁ。
そういう使い方、できないよ。(笑)

で、2日目は帰りの新幹線まで時間があったので、スカイツーリーまで行ってきた。
平日だったので、それほど混んでもいず、上ることができた。
さすがに高かったなぁ。。
でも、ガラスの床は東京タワーの方が怖かったな。(笑)
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2018年02月14日
2018年02月12日
<テレビ用>
最近テレビとかビデオのリモコンが言うことを聞かなくなりつつあるらしい。ちょっとマルチリモコンで簡単操作。
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2018年02月11日
2018年01月27日
2018年01月19日
彼女とは専門の時の同級生。しかもたった1学期だけの同級生。
前にここに書いた同級生の彼女だった。
いつごろから話すようになったのかは覚えていないんだが、仲の良いグループが出来上がったときにはすでに友達の彼女になっていた。なのでグループの中にいたから、いつも授業時間やお昼時間は席が後ろだったり前だったりした。
第一印象は高卒にしては派手な感じだなぁと思っていたが、当時流行っていたサーファー風の服と化粧のせいだったかも知れない。街を歩けばそんな格好の女性はいくらでもいたが、学校の中ではちょっと目立った存在だった。
彼女は浦和だったか大宮だったかの人で、商業系の高校を卒業したと聞いた。
おかげで1年生の1学期に履修しなければいけない商業簿記は救われた。彼女のノート丸写しだ。(汗)
普通高校卒の俺とすれば簿記なんて見たことも触ったことも無いのだ。
そんな彼女とは飲みに行ったことも無かったし、友達が麻雀屋につれてきたことも無かった。そういうわけで、学校の中だけの彼女しか知らないのだ。
どういうことがあって、夏休み以降に学校に出てこなくなったのかは分からないが、ある日の混雑した京浜東北線の中で偶然に彼女と会ったことがあった。
その時話したことで分かったのは、友達との中は終わっていて、六本木辺りの会社にOLとして働いているということだった。
そういえば学校で目立っていた彼女の、その時の服装はOLさんのスーツ姿だった。
今も元気なんだろうか。
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前にここに書いた同級生の彼女だった。
いつごろから話すようになったのかは覚えていないんだが、仲の良いグループが出来上がったときにはすでに友達の彼女になっていた。なのでグループの中にいたから、いつも授業時間やお昼時間は席が後ろだったり前だったりした。
第一印象は高卒にしては派手な感じだなぁと思っていたが、当時流行っていたサーファー風の服と化粧のせいだったかも知れない。街を歩けばそんな格好の女性はいくらでもいたが、学校の中ではちょっと目立った存在だった。
彼女は浦和だったか大宮だったかの人で、商業系の高校を卒業したと聞いた。
おかげで1年生の1学期に履修しなければいけない商業簿記は救われた。彼女のノート丸写しだ。(汗)
普通高校卒の俺とすれば簿記なんて見たことも触ったことも無いのだ。
そんな彼女とは飲みに行ったことも無かったし、友達が麻雀屋につれてきたことも無かった。そういうわけで、学校の中だけの彼女しか知らないのだ。
どういうことがあって、夏休み以降に学校に出てこなくなったのかは分からないが、ある日の混雑した京浜東北線の中で偶然に彼女と会ったことがあった。
その時話したことで分かったのは、友達との中は終わっていて、六本木辺りの会社にOLとして働いているということだった。
そういえば学校で目立っていた彼女の、その時の服装はOLさんのスーツ姿だった。
今も元気なんだろうか。
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2018年01月12日
松葉杖は秋ごろまで使っていたんじゃないかな。
夏の暑いときには、病棟の廊下の温度と気温・湿度の差で結露する。
廊下の真ん中に滑らないようにと絨毯みたいなものを引いていた。それでも松葉杖をその絨毯から外についた時は、情けないほどにつるっと滑って転んでしまう。
あの廊下は随分と硬かったなぁ。今のようにエアコンで空調をするのが一般的ならば、結露するなんていうことも無かっただろうに。(笑)
ギブスが取れて、最初の3日間だけは車椅子を使わせてくれた。
自分はずっと車椅子を使いたかったのだけれど、歩くことが最大のリハビリなので無理にでも歩く必要があったのだ。
自分の場合は、歩くときに足を保護するために松葉杖を使うのではなく、筋力がなくなってしまったので足をついたときに転ばないように支えにするために松葉杖を使ったのである。
長くなってしまった。
書いているうちに色々と思い出してきた。
楽しかったことや恥ずかしかったこと、淋しかったことが昨日のように思い浮かんでくる。
それを一つひとつ書いていると収拾が付かなくなりそうなので、この辺で自分の人生の中でも最大級のイベントだった小学校5年生の8ヶ月間を締めくくりたいと思う。
The End.
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夏の暑いときには、病棟の廊下の温度と気温・湿度の差で結露する。
廊下の真ん中に滑らないようにと絨毯みたいなものを引いていた。それでも松葉杖をその絨毯から外についた時は、情けないほどにつるっと滑って転んでしまう。
あの廊下は随分と硬かったなぁ。今のようにエアコンで空調をするのが一般的ならば、結露するなんていうことも無かっただろうに。(笑)
ギブスが取れて、最初の3日間だけは車椅子を使わせてくれた。
自分はずっと車椅子を使いたかったのだけれど、歩くことが最大のリハビリなので無理にでも歩く必要があったのだ。
自分の場合は、歩くときに足を保護するために松葉杖を使うのではなく、筋力がなくなってしまったので足をついたときに転ばないように支えにするために松葉杖を使ったのである。
長くなってしまった。
書いているうちに色々と思い出してきた。
楽しかったことや恥ずかしかったこと、淋しかったことが昨日のように思い浮かんでくる。
それを一つひとつ書いていると収拾が付かなくなりそうなので、この辺で自分の人生の中でも最大級のイベントだった小学校5年生の8ヶ月間を締めくくりたいと思う。
The End.
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2018年01月10日
2001/12/13(Thu)
今日はどんよりとして時々小雨なんかが降り、夜になると雪になってしまいそうな天気だ。
日曜日に休日出勤をしたので、その代わりに今日は休むことにした。体外のところはそうだと思うのだが、人員とスケジュールの関係で好きなときに休むことができない・・・。(涙)
さて、アメリカのテロ事件から3ヶ月を過ぎ、首謀者のビンラディンはいよいよ追いこまれて身柄の確保も時間の問題と言われている。
アフガニスタンの暫定政権内部では権力闘争やもろもろの事情で中々一つにまとまらないところもあるようだが、主義主張はともかく日常的に人々が紛争の犠牲にならない社会を作らなければならない。
いよいよ・・・・待ちに待ったスキーシーズンなのだが。
岩手県の主なスキー場のオープンは今週末になるようだ。ふと思ったがオープンを待って何を置いてもスキー場に車を走らせていた15年前と比べると10日ぐらいはオープンが遅くなっているようだ。やはり地球温暖化とは無関係ではないだろうなぁ・・・。
シーズン中は十分に雪の量もあるのだが、それでシーズンが終わるのも早くなっている。
前にこの「なぐり書き」で書いた上の橋の工事だが、先月の末ごろに一段落したようだ。
この寒さでは夜中に立って交通整理をしている人にも厳しいだろうと思っていたので、なんとなくホッとした。
しかし完全に工事は終わったわけではなさそうで、雪が融けたころにまた再開されるのではないだろうか。
時々ラッシュの時間帯にあそこを通ることがあるのだが、車線が規制されているためにこんな一関でも通り抜けるまでに20分とかかかるのだからびっくりする。(笑)
やっぱり、磐井橋と上の橋の間にもう一つ橋があればいいんだけどなぁ。
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今日はどんよりとして時々小雨なんかが降り、夜になると雪になってしまいそうな天気だ。
日曜日に休日出勤をしたので、その代わりに今日は休むことにした。体外のところはそうだと思うのだが、人員とスケジュールの関係で好きなときに休むことができない・・・。(涙)
さて、アメリカのテロ事件から3ヶ月を過ぎ、首謀者のビンラディンはいよいよ追いこまれて身柄の確保も時間の問題と言われている。
アフガニスタンの暫定政権内部では権力闘争やもろもろの事情で中々一つにまとまらないところもあるようだが、主義主張はともかく日常的に人々が紛争の犠牲にならない社会を作らなければならない。
いよいよ・・・・待ちに待ったスキーシーズンなのだが。
岩手県の主なスキー場のオープンは今週末になるようだ。ふと思ったがオープンを待って何を置いてもスキー場に車を走らせていた15年前と比べると10日ぐらいはオープンが遅くなっているようだ。やはり地球温暖化とは無関係ではないだろうなぁ・・・。
シーズン中は十分に雪の量もあるのだが、それでシーズンが終わるのも早くなっている。
前にこの「なぐり書き」で書いた上の橋の工事だが、先月の末ごろに一段落したようだ。
この寒さでは夜中に立って交通整理をしている人にも厳しいだろうと思っていたので、なんとなくホッとした。
しかし完全に工事は終わったわけではなさそうで、雪が融けたころにまた再開されるのではないだろうか。
時々ラッシュの時間帯にあそこを通ることがあるのだが、車線が規制されているためにこんな一関でも通り抜けるまでに20分とかかかるのだからびっくりする。(笑)
やっぱり、磐井橋と上の橋の間にもう一つ橋があればいいんだけどなぁ。
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2017年12月30日
2017年12月29日
「俺の話しを聞け〜」
今更の感じではあるけれど、クレイジーケンバンドが好きになった。
何とも言えない懐かしい感じ。
11月の出張の時に、ちょっと足を延ばして横須賀なんかに行ったせいかも知れない。
1枚買って聴いてみたら、やっぱりいい。
何枚か買って聴いてみようかな。
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今更の感じではあるけれど、クレイジーケンバンドが好きになった。
何とも言えない懐かしい感じ。
11月の出張の時に、ちょっと足を延ばして横須賀なんかに行ったせいかも知れない。
1枚買って聴いてみたら、やっぱりいい。
何枚か買って聴いてみようかな。
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10月に買った「AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED」のNIKONのカスタマー登録をやっと昨夜やった。
登録したからと言って何か特典があるわけでも無いのだが。
でも、折角かったのだから登録ぐらいはしておきたいかなぁ。。
中古を買うことが多かったので、あまり意識はしたことなかったけどねぇ。
今NIKONのサイトに登録されているのは「D800」と「Micro NIKKOR 60mm f/2.8G」
70-200も登録カードがあるはずなんだけど、それも登録しておきたいなぁ。。
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登録したからと言って何か特典があるわけでも無いのだが。
でも、折角かったのだから登録ぐらいはしておきたいかなぁ。。
中古を買うことが多かったので、あまり意識はしたことなかったけどねぇ。
今NIKONのサイトに登録されているのは「D800」と「Micro NIKKOR 60mm f/2.8G」
70-200も登録カードがあるはずなんだけど、それも登録しておきたいなぁ。。
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2017年12月28日
<備前焼>
そんなに高価なものではなくて、小遣い程度で手に入るものでも良いよ。ぐっと気に入った焼き具合の抹茶茶碗でもあればいいなぁ。でも、徳利なんかでも欲しいな。
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2017年12月27日

単焦点レンズでじっくり構えたいという思いが出てきた。
色々と考えた末に出した答えがAF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G EDだった。
58mm f1.4何ていうレンズも考えたが、ちょっと高すぎる。50mm f1.4も考えたが、中途半端な焦点距離を使ってみたくなった。
それに加えて最近の自分の被写体は、ぐっと近寄って撮りたくなるものばかりである。
それならいっその事、マクロレンズをということになったのである。100mm f2.8もあるのだが、さすがにそれでは長すぎる。
使ってみた印象だが、ずっとメインに使ってきたAi AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)もずっと軽くて持ち歩きやすい。嬉しいぐらいに軽いのだから、こっちをメインにしてもいいぐらいである。
しかしながら当たり前だが、単焦点なので画角が替えられない。60mmの焦点距離は、場合によっては結構な長さになってしまう。これは広角系にはかなわない。
さて、どのレンズをメインに据えようか、考える。
値段のこともあってAi AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF)を使わないのはもったいない。けれど、じっくりファインダーを覗きながら撮り歩くならば、やはりAF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G EDである。
う〜ん、迷ってしまうレンズではある。(笑)
さしあたり、次の出張のお供はAF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G EDを持って行って歩いてみることにする。
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2017年12月26日
言 葉
=:ぎっつり(ぎっつら)
意味(ニュアンス)
=:目一杯、ぎゅうぎゅう詰め
用例・用法
=:タンスんながさ、ふぐがぎっつらどひゃってだ
解説(解読)
=:タンスの中に洋服がぎっしりと入ってる
備 考
=:
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=:ぎっつり(ぎっつら)
意味(ニュアンス)
=:目一杯、ぎゅうぎゅう詰め
用例・用法
=:タンスんながさ、ふぐがぎっつらどひゃってだ
解説(解読)
=:タンスの中に洋服がぎっしりと入ってる
備 考
=:
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2017年12月25日
俺が小学校の時に入院していた西多賀療養所の隣の病室の一つ上の男の子だ。
彼はペルテスという病気で、普通に生活していると股関節の骨が崩れてしまうので、骨が成長し固まるまで活動を制限しなければならないという状況だった。そして、その病棟に入院していた多くの子供たちがその病気だった。
俺が入院していた病棟は下は小学生未満から上は6年生のまでの児童がいた。隣の病室にいたその男の子は6年生で俺の1つ上の学年、その病棟では一番年上ということになる。
最初の印象では体が大きく、どっかりとベッドに座っていたので、どこか牢名主のような雰囲気があった。もちろんそんな事は無かったが、こっちも入院したばかりで勝手が分からないのと年上の人ということから、そういう印象を持ったのだろう。
ひと月もしないうちに、その病室の人たちとも仲良くなれて、授業が終わると良く遊びに行ったものだ。
彼は模型を作るのが得意で、塗装もやり本格的なのだ。プラ模型も上手いと思ったが、鉄道模型も彼の範疇だった。割と大きくレールを床に這わせ、夜は部屋の電気を消して、模型に灯りを着けながら走らせるということも良くやっていた。
中学ぐらいになると物を作ることが苦手になってしまったが、その時は彼の模型好きの影響で俺もプラ模型を作ったりしたものだった。
あの病院に何年入院していたのだろう。その後、いつ退院したのかも分からないし、その後の彼の人生も知らない。
けれど、手先の器用さを生かして、どこかで物作りの仕事をしているのではないかと思っている。
そして、当時を思い出しながら書いていると、何ヶ月か一緒に過ごした子供達の笑顔がよみがえってくる。
みんな元気にしてるのだろうか。
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彼はペルテスという病気で、普通に生活していると股関節の骨が崩れてしまうので、骨が成長し固まるまで活動を制限しなければならないという状況だった。そして、その病棟に入院していた多くの子供たちがその病気だった。
俺が入院していた病棟は下は小学生未満から上は6年生のまでの児童がいた。隣の病室にいたその男の子は6年生で俺の1つ上の学年、その病棟では一番年上ということになる。
最初の印象では体が大きく、どっかりとベッドに座っていたので、どこか牢名主のような雰囲気があった。もちろんそんな事は無かったが、こっちも入院したばかりで勝手が分からないのと年上の人ということから、そういう印象を持ったのだろう。
ひと月もしないうちに、その病室の人たちとも仲良くなれて、授業が終わると良く遊びに行ったものだ。
彼は模型を作るのが得意で、塗装もやり本格的なのだ。プラ模型も上手いと思ったが、鉄道模型も彼の範疇だった。割と大きくレールを床に這わせ、夜は部屋の電気を消して、模型に灯りを着けながら走らせるということも良くやっていた。
中学ぐらいになると物を作ることが苦手になってしまったが、その時は彼の模型好きの影響で俺もプラ模型を作ったりしたものだった。
あの病院に何年入院していたのだろう。その後、いつ退院したのかも分からないし、その後の彼の人生も知らない。
けれど、手先の器用さを生かして、どこかで物作りの仕事をしているのではないかと思っている。
そして、当時を思い出しながら書いていると、何ヶ月か一緒に過ごした子供達の笑顔がよみがえってくる。
みんな元気にしてるのだろうか。
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