★あの日のこと

2013年11月25日

高3の10月、受験時期に入ってしまったのでバンド活動を停止することにした。

高校を卒業した後、同級生は大学のサークルつながりでヘビーメタルのバンドに参加していく。
ヘビーメタル自体は嫌いではなかったが、演奏する音楽としてはどうしても着いていけなかった。
また、自分自身のベースにも東京でバンドを組んでやっていくという自身も持てなかった。
(最近になって高校時代の音源を聴いた見たが、それほど酷い演奏ではなかった。思い切ってサークルのバンドに飛び込んでいけばよかったなぁと後悔した。)

けれど、どこかにベースを弾きたいという欲求だけは、どこかに持っていた。
高校卒業前に改造してしまって弾けなくなってしまったベースの替りを1年払いのローンで楽器屋から衝動的に買ってしまった。
また、音楽雑誌の売買欄から欲しいギターを見つけて、横須賀の高校生から中古のギターを買ったりもした。

そういうわけで、個人的に一人で悶々とギターを弾いたりベースを弾いたりしていた時代が何年か続いた。
そして、段々音楽を演奏するということからフェードアウトしていき、ベースも物置にしまってしまった。
それからは、もっぱら音楽は聴くだけになってしまい、社会人も後半へと突入してしまう。

何年前の話しだったろうか。
人事異動の時期の2次会での席でのことだった。
ある後輩がバンドでボーカルをすることになったのだが、ベースがいないという話しになった。
その彼の隣に座っていたのが、大学時代に軽音でベースを弾いていた。
そういうわけだったので、バンドに入ってベースを弾かないかと、しきりに誘っていた。
なぜか誘われた彼は固辞していて、その話しは成立しなかった。

少し経ってから、俺の隣に座っていた子が「○○さん、ベース弾けばいいじゃん」と俺に話しを振ってきた。
「えっ、弾いてもいいよ」

これでこの前まで活動していた「The Gates」にベーシストとして参加することになった。


2013年10月28日

高校3年生。

校内でのバンド活動はどうだったか。

学校内では「私文バンド」として活動していた。
メンバー全員が私立文系のクラスだったのが名前の由来。

活動といってもライブは体育祭の後夜祭と文化祭しかなのだけれど。
ライブのほかには好きミュージシャンのレコードを掛けてDJごっこをして録音したり。

この年の文化祭では、勝手に教室を借り切り、暗幕を張ってライティングして。
前の年の文化祭と違ったのは、ゲストメンバーにピアノやギターを曲によってフィーチャリングしたり、ベースとドラムスが楽器を持ち替えたりといった余興もした。
このライブも同級生をはじめ、後輩たちで、満員。
部屋の中は、今で言うクラブ状態だった。

けれど、次の日に生活指導課に呼ばれて説教されたのは、何を隠そうこの私です。(汗)


実はこの後に、大きな事件が起きる。
10月だったかなぁ。

当時、地元の高校生の中ではカリスマ的だったギタリストが自宅で自殺をしてしまう。
彼は別の実業高校に通っていて、市内では名の通ったバンドでギターを引いていた。
白のストラトキャスター、グレコのコピーモデルであったけれど。

高校の近くだったから、学校をサボっては何度も遊びに行っていた。
事情は色々とあったのだろうけど、その衝撃はすごかった。
その手段を選ぶしか道は無かったのか・・。


2013年10月12日

高校3年生。

この年が10代では一番音楽的に充実していた年だったかも知れない。
受験生だったにもかかわらず、この年の10月までしっかりと音楽活動をした。

校外のバンドは高1のときから「一乗寺」、これはメンバーのギターから中学のときにギターを教えてもらっていたが、その練習場所が自宅近くの一乗寺というお寺だった。
無人のお寺だったので、アコースティックぐらいならいいよと管理していた人から許可をもらっていた。
3年になって、高専の同級生のバンドにベースとして加入。このときのバンドの名前が「Crysis(クライシス)」。
また、高校の中で活動していたバンドは「私文バンド」といった。

2:10の活動では定期的なライブに2,3度出演をしていた。
あるミーティングでは次回のライブはオリジナルを必ず1曲入れるという課題があった。
それまではずっとコピーばかり弾いていたが、ロックンロールの曲を作った。
どんな曲だったかすっかり忘れてしまったが、作詞作曲を手がけた。
また、女性の先輩とのコラボレーションで彼女が詩を書き俺が作曲した曲も別のライブの時に弾いた。
このときの曲は「オレンジマーマレード」という名前だったのを覚えている。

その後、夏を少し前にしたときだったと思うが、「一乗寺」を解散し「Crysis」に移った。
こちらのバンドは、それまではどのような曲をやっていたのかはっきりとは覚えていないが、俺が加入してからは「甲斐バンド」や「カルメンマキ&OZ」などのコピーを主体としたバンドだった。

このバンドでははっきり覚えているライブが2つある。
その一つは夏まつりに連動して磐井川の堤防で行われたライブイベントへの出演。
そして、NHK−FMでローカル局の公開収録への出演である。
どこかに音源が残っていれば、すごく懐かしいのだが。。

そして、このFM放送の公開収録が高校生最後のライブであった。


2013年10月02日

高校2年生。
この年に音楽の路線変更をする。
聴く音楽も演奏する音楽も、それまでとはまったく違うものになった。

それまでは四畳半フォークの流れを汲んだものや、叙情的なフォークが好きで聴くのも弾くのその路線だった。
けれど、この年からそれまでちょっとは聴いていたハードロックに浸ってしまう。
それと同時にブルースやブルースを基調としたとしたロックにも傾倒していった。

バンドで大きく変わったのは、それまでアコースティックギターとベースという構成だったのが、ドラムを加えて本格的にロックバンドになったことだった。

また、この年から学校の外側では2:10に所属して4人構成、高校の中では別のメンバーで5人を主体として演奏する音楽によってはギターを加えたりキーボードを加えたりした構成。
いずれもハードロックやブルースを演奏するようになった。

hama001高校の中でのライブは体育祭の後夜祭や文化祭のステージがメインになった。
高校にはロックバンドを受け入れてくれるようなクラブや同好会は無かった。
そんなわけでアンダーグラウンド的な同好会でやることにした。
高校には視聴覚室という普段は使われていない教室があって、そこをバンドの拠点にした。
時々使うこともあるので、ライブの時だけ機材を持ち込んで使ってしまおうということにした。

体育祭の後夜祭のほうは、もちろん屋外で弾いた。
3年生のバンドと対バンだったが、2年生のうちらのバンドのほうがはるかに高いレベルだった。
しかしながら夕方から雨になってしまい、楽器が濡れて大変な目にあった。
借りてきた濡らしてしまったドラムをドライヤーで乾かしたりした。

文化祭はなぜ使うことができるようになったのか今でもわからないのだが、視聴覚室を独占して機材を持ち込み、暗幕を張ったりしてライブ会場にしてしまった。
このときは、対バン無しのまったくのワンマンライブだった。

2013年09月22日

当時、市内にはもちろんいくつかのバンドがあってそれぞれに活動していた。
あるライブをきっかけに、3人組(ギターx2、ベース1)のバンドがお気に入りになった。
彼らはすでに働いており、自分の会社をもじってバンド名にしていた。

何度かライブを見に行くうちに、彼らと仲良くなった。
そして、自宅まで遊びに行けるほどになった。

自分はといえば、無事に高校に合格して、これからまた音楽を始めようかというところだった。

中学のときに友達と一緒にやっていたバンドは解散して、最初にギターを教えてくれた別の友達と、またあまり話しをしたことは無かったが、ギターを弾いていると噂に聞いていた同級生の3人でバンドを組んだ。
アコースティックギターx2、エレキベース1という、当時の一般的な構成だった。

バンドを組むと同時に、市内の高専生が中心となって活動していた2:10というサークルにも加入した。
これによって、定期的なライブへの出演ができるようになった。
また、自分にとっては苦痛でしかなかった高校生活の唯一の心の拠り所になっていった。

加入したての頃の持ち曲は今では全然覚えていないが、中学のときからお気に入りだった社会人バンドからプレゼントされた曲を必ず最後に演奏するようになった。

初のライブは6月ごろだった。
ポスターは手書きのデザインを画用紙にコピーしたものだった。
記念にとしばらく自分の部屋にも貼っていたものだった。

そして、その年はクリスマスコンサートにも出演することができた。
このクリスマスコンサートの日は、何十年ぶりかの豪雪で、市内は白一色だった。
終わって打ち上げで飲んで、雪が積もった街をメンバーと歩いたのを記憶している。

高校1年の表向きの音楽活動はこうして過ぎて行った。

高校になって加入した2:10は、高専生が中心になって運営されていたが、市内にいくつかある高校の生徒たちも加入していた。
そして、毎週土曜日の2:10から、今は一関文化センターになってしまった、旧一関小学校体育館をそのまま利用した一関公民館の2階でミーティングが行われていた。


2013年09月13日

hama004いよいよ本番。
今年のライブは体育館のステージ、去年のような小さい部屋ではなく、全校生徒が集まれるような、俺にとってはとてつもなく広い場所。

アンプやPA類は前日までに知り合いの知り合いから借りていたものを搬入してセッティング。
出演バンドは確か2つか3つのバンドだったような気がする。

さすがに大勢の前なので緊張したんだろうなぁ、どのような演奏だったのか全然覚えていない。
ただ、1曲目の出だしにベースの音量が大きすぎて、ボーカルから「高い」と言われたことは覚えてる。(笑)

何やかやで5曲ぐらいやったんじゃなかったかなぁ。。

メンバーは
ボーカル   :Y・S君
リードギター :S・M君
サイドギター :H・K君
 &コーラス
 &ハーモニカ
サイドギター :Y・O君
ベース    :自分。

hama005ちなみにリードギターは、今のバンド「BackDoor」のリードギターでもある。(笑)

この時の音源は残っていないが、写真が残っている。
ハチマキなんか巻いて、とても恥ずかしい格好であるが、あの時は格好いいと思っていたんだろうなぁ。。
恐ろしくてとても、アップはできない。(汗)

このライブの後の音楽活動はほとんど覚えていないが、一度だけ人前で演奏した。
転校する同級生の送別会でH・K君とデュオでギターを演奏した。
その時は「いちご白書」だったと記憶している。

他には一人で、当時好きだったフォークをギターでかき鳴らしていたかも知れない。
ベースは後輩に返してしまったので、高校に入学してバンドを組むまで触ることが無かった。


2013年09月04日

思えば、自分のギターを手に入れたのは、中2のお正月であった。
どういうわけか、自分達の学年で新聞配達というのが流行っていた。

その新聞配達を5ヶ月した給料とお年玉を合わせて3万円。
中2のお正月の初売りに、市内の楽器屋からモーリスのアコースティックギターを買った。
それはあまり意識しなかったが、後で考えたら憧れのマーチンD28のコピーモデルであった。(笑)

そんなこんなで中3の文化祭、バンドで出ようという話しになったのだが、ギターを譲ってくれなかった友達は一向に練習する気配も無いままフェードアウトしてしまった。
しかし、俺は見たことも触ったことも無いベースをするというスイッチが入ってしまったので、もう後戻りはできない。(笑)

元々ギターをする友達は何人かいたので、アコースティックギター2、ベース1、ボーカルということで、上手くまとまってくれた。

さて、問題はベースをどうしようという話しである。

幸い、1つ下の後輩が持っているという。
文化祭では貸してくれるという。
これはありがたい。

ただ、当日までは手元に来ないので、何か代替のベースで練習しなければいけない。
活動してるのを見たことが無い軽音楽部にウッドベースがあった。
それじゃ、それを使って練習。

が、フレットは無い、弦高は高いなどで練習はとても大変であった。
フットが無いので、絆創膏をフレットの位置に張った。
そうでもしないと、とても音が合わせられない。
幸いギターをやったおかげでコードは分かるので、ベースラインはコードから適当に作ったり友達に耳コピを手伝ってもらったりして完成させた。

今考えると、とても人前では聞かせることができるようなベースではなかったなぁ。。(汗)


2013年08月24日

夏まつりのステージに上がったのは4人。
リードボーカルと3人のアコースティックギター。
曲はかぐや姫の「あの人の手紙」だったかなぁ。

それよりも前の話し。
友達4人でバンドを組もうと言う話しになっていた。
目指す方向性も何も無かったのだけれど、ビートルズのようなバンドをイメージしていた。
当然俺はサイドギターで入るつもりだった。
ドラムを誰がということは記憶していないが、ベースはK君ということにしていた。
ところがK君はギターで参加したいと言い出した。
やりたいパートはどうしてもギターだと言う。

どこまで行っても平行線のような話し合いになってしまったので、俺はベースでもいいよと、その後何十年もの俺の人生を左右するような一言を発ししてしまった瞬間であった。
重要な一言であったが、これまた後先考えずに軽く口から出てしまった。(汗)

こうしてベースへと転向したのはいいが、エレキベースなんていうのは見たことも無い。
知っているのはウッドベース。
コントラバスともWベースとも言われ、クラシックやJAZZに使われる楽器しか知らなかった。

そんなビートルズをリスペクトするようなバンドのことはすっかり忘れていて、友達同士の話はすっかりと違う方向へと向かっていた。

秋の中学校の文化祭でバンドを組んでライブをやろうという話しになった。
かぐや姫のコピーバンドはすでにいたので、当時流行の風をコピーすることにした。
楽器の編成はボーカル、リードギター、サイドギター、ベース。

文化祭のライブの話しの前か後ろか、授業のほうで音楽の実地テストと言うのがあった。
好きな楽器や歌を披露するテストである。

ほとんどの人は個人か何人かでピアニカ(鍵盤ハーモニカ)で教科書に載っているものや流行の曲を演奏した。
また、何人かは歌で実技試験を受けた。

俺はと言えば、バンドを組む予定の友達と二人でフォークの定番を演奏した。
もちろん俺の歌は無しである。(笑)


2013年08月14日

あの中2の時の文化祭が、大げさに言えばデビューステージだったんだけど、終わった後のことは全然覚えていない。
何しろ、ステージ上では緊張しっぱなし。
でも、ステーを降りたら、「やってやったぜぇ」的に高揚感でテンションMAX。(笑)

本当は先輩の演奏とかも効いたはずなんだけど、覚えていない。

なぜデビューする曲がチューリップの「銀のスプーン」に決まったのかというのも覚えていない。


そのころから音楽的思考が邦楽、しかもフォークソングに向かい始めた。
吉田拓郎や泉谷しげる、かぐや姫などのメッセージ性のあるものや叙情的なフォークに傾倒して行った。
そして、そのころから他のギターを弾いている友達とも色々と音楽を聴くようになった。

次のライブの予定があるわけではなかったが、バンドスコアなんかを買ってきてコードをかき鳴らしていたような気がする。
また、Kとは別の友達Hと、今で言うデュオを組んで二人で曲を作ったり練習したりもした。

気が付くと、同級生の中にも結構ギターを弾いてるやつがいるんだなぁと思った。

そして中学3年生。
この年は俺にとって大きな出来事が2つ起こる。

その1つは、音痴ということを友達に指摘されたこと。
最初はかなり凹んでしまったが、こればかりはどうしようもない。
ずいぶんと練習もして、多少は改善されたものの、やはり人前で歌えるような音程ではなかった。
がっくり。

そしてももう1つの大きな出来事のきっかけになったのは、一関夏まつり。
そのまつりの一部の中央町歩行者天国での信金のど自慢大会。
いや、音痴なので歌は歌わないんだけど。
ご近所付き合い的なのりで、バンドで参加申し込みをした。
仲の良かった友達が3人、ステージに上がってギターをかき鳴らした。
そしてこのステージの後に、俺が今でもベースを弾くことになる出来事が起きた。

2013年08月04日


NSPの曲は簡単なコードを循環して使っていることが多かったので、初心者がギターを覚えるのにはちょうど良かった。
「いい」の後にNSPの曲を何曲か教えてもらい、なんとなく形ができてきたかなぁと言うころに文化祭である。

どこからそんな話しになったのか、ギターを始めて3ヶ月で文化祭のライブイベントに出ることになった。

ギターを教えてくれたKは、やはりバンドを組んでいた先輩達と交流があったのだ。
そういういきさつがあったから、文化祭のライブに出してもらえることになったらしい。

覚えたNSPの曲なら良かったけど、それでは先輩達のバンドの曲とかぶる。
そういうわけだったのだろうか、やる曲はチューリップの「銀のスプーン」だった。

今考えると、どうも格好が良くないなぁ。

2人とも先輩から借りたエレキギターを持ってステージに上がった。
ライブイベントは普通の教室よりも少し広い技術家庭の実習室。
ステージは教壇。

本当はハイコードでやらなくちゃいけないんだけど、 覚えたてのローコードのみ。
しかも、ドラムもベースも無い。
椅子に座ってままで、ストラップでギターを吊り下げているわけでもない。

夢中で弾いたたった1曲。

あっという間に終わってしまった。
ろくに曲にもなっていなかったかもしれない。

2013年07月31日

小さいときから「調子っぱずれ」と言われて育った。音痴のことである。
そういうこともあってか、音楽は苦手だった。
小学校のときも、音楽の授業は好きではなかった。
3年生のときにピアノを習ったことがあるが、発表会が嫌で1年もしないうちにやめてしまった。(汗)

ちゃんと音楽として意識して聴くようになったのは、小学5年のときに入院した西多賀の病院。
そこはベッドスクールで、小学生より小さい子供から中学3年生まで、病室が教室になる病院だった。
もちろん一般病棟には大人の人たちも入院していたけど。

で、毎年今頃の季節になると中学生が中心となって文化祭が開催されていた。

普通の学校と同じように絵や工作の展示、合唱とか屋台なんかもあった。

その中にレコードコンサートという部屋があって、リクエストもできるようになっていた。
そこで聴いたサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」が歌謡曲しか聴いたことのなかった俺をロックやフォークの世界へ目を(耳)を向けさせてくれた。
それからS&Gはもちろんビートルズ、フォークも聴くようになっていった。

中学に入ったころは、まだ聴くだけだったが、2年になったときに近所に住んでいた同級生がギターを教えてくれるというのである。
ちょうど従兄弟からなぜか白いギターをもらっていたので、ちょうど良かった。

初めてギターを鳴らした曲はNSPの「いい}という曲だった。
今思えば、本当に簡単なコードしか使われていなかったから、覚えるのにちょうど良かった。
そして、友達も俺にサイドギターを弾かせ、自分はリードギターを弾きたかったから、これまたちょうど良かったのである。

2013年07月24日

音痴で音楽が苦手だった自分が、音楽に興味を持ち始め、中学でバンドを組むことになった。
あの日のことが有ったから、数十年経った今でも、バンドでベースを弾いている。
そんなあの日のことを思い出してみた。

子供の頃は音楽は苦手だった。音楽をしているより、外で友達と野球をしたり遊んでるほうが大好きだった。
でも、なぜか中学の頃からバンドを組んで音楽を始めるようになった。そしてそれは今でも続いている。
今になって思えば、あのきっかけが無かったら、今でもバンドでベースを弾いてるなんてことは無かったのかも知れない。



2013年07月17日

2010/01/13(Wed)
11時半ぐらいに看護師さんからMRIへの招待。
予定が少し早まり、午前中にMRIができるという。
お昼はストップになっているので、終わったら好きなものを食べてくださいとのこと。

いざ、MRIへ。
奥まった古い場所にあるMRIへ。MR検査って言うんだね。
いや、調べたらMRI=magnetic resonance imagingらしい。
で、検査=inspectionなので、MRI検査でいいと思うんだけどね。(謎)

一生に何度も経験できないMR検査である。
簡単な問診票で金属の着用が無いかを確認。
メガネを外して、MRのベッドの上へ。
軽い説明を受け、耳栓、呼び鈴を持たせられる。
かなりうるさいと言うことらしいが、耳栓の中に流れるとぎれとぎれの音楽には笑える。
今回は頭部のMRIなので頭部を固定される。
ベッドが移動して、内部へは行って行く。
検査は大体30分ぐらいの予定だという

いよいよMRが始まる。
ピーピー、ガーガー、ガンガン、すごい音である。建設現場のような音である。
治療中の音とはとうてい思えない。
不思議なことに、こんなうるさい工事現場のようなところでも、ちゃんと眠くなってしまうから不思議である。

しばらくして、造影剤の注射がといことで一時停止。
造影剤は体重によって、その量を決めるとのことで、昨夜計ったばかりの体重を正直に申告。
別の人(注射係り?)が出てきて、腕に針を射した。見えないのだが、造影剤は別の場所からチューブで注入されるのかもしれない。
「チクっとしますからね」などと子供にさとすように言うのだが、そのチクはとても子供用のチクだとは思われない。
「痛かったら言ってくださいね」って、この痛さはチクの内に含まれている痛さなの?
それとも異常があって痛いの?
どちらの痛さなのかは、MRI初心者には判断できないや。(汗)

造影剤の注入が完了したので、再び検査の開始である。
ピーピー、ガーガー、ガンガン、勢いがよい。
また睡魔に襲われ、あっちとこっちを行ったり来たりする。
寝ぼけて撮影された、頭部のMRIはちゃんと写っているのだろうか。
ボケたりはしていないだろうか。

ややして、少し位置を変えて撮影だと言うことで、ベッドを動かす。
けれど、頭は動かさないようにと、一言注意。
耳栓が引っ張られて外れそうなんだけど。
もし、はずれちゃったら大変なことにはならないか?
大丈夫か?

「あと8分ですからね」って、その半端はいったい。
もちろん正確な時間だということはわかる。
でも一般人には10分の区切りでいいんじゃない?
どうせ頭も動かせない、せまっ苦しい感じがするところに収められて、時間も見れない一般人なのだから。
それか、どうせ正確をきすんなら、秒単位まで言ってくれた方が、さすがに嘘いつわりの無い大学病院だって言う気がする。

で、三度目のピーピー、ガーガー、ガンガンである。
しかし残り時間が知らされているから、今回はとても早いような気がする。
でもよく考えたら、30分のうちの8分って、割合としては結構長いんじゃないの?
そんなことを考えてたら、睡魔に飲み込まれることが無く終了を迎えた。

「メガネを受け取りお帰りください。」

The End.


2013年07月12日

2010年1月9日(土)
大きな、入院病棟があるような病院には、院内に床屋さんがあるところもある。
今回入院した東北大学病院にも、やはり床屋さんはあった。
そういうわけなので。

せっかく病院に入院したのだから、院内にある床屋さんで髪を気ってもらわない手はない。
病院の床屋さんなんて、めったに入る所ではないだろう。
ってことで2010年1月9日に病院の床屋さんで散髪。

なんとなく田舎の昔懐かしい散髪やさんを思わせる、この院内の床屋さん。
そう、散髪がふさわしい。カットハウスなんていうのは絶対に似合わないのだ。
おばちゃん二人で3つの椅子を切り盛りしているらしい。
普通の床屋さんと違うのは、定休日が日曜日になっていること。

メニューは散髪。
洗髪も顔剃りも無い。
値段も今の経済状況にありがたい1500円。
もっとも、値段は年代や何かの状況で変化するのだろうけど。

外からのお客さんも受け入れるが、基本的には病院の患者さんや忙しすぎる年配の医師がが中心だろう。
今流行の髪形も関係ない。
おばちゃんの長年の感と感性のみが、売り物だ。

髪を切るのは、さすがに年季が入っている。
今時のロードサイドにあるような、安さと早さだけが売り物の、インチキ臭い横文字の床屋とは全然違う。

どのように切るかと聞かれたので、耳にかぶさらない程度で、後ろは少しバリカンを入れて短めにと、なんとなく一流な注文を着けてしまった。
おまけに分け目はなんとなく今のぐらいにと、訳の分からないような注文である。

軽く霧吹きで髪を湿らせて散髪の開始である。
あくまでも軽くし湿らす程度である。間違っても滴が滴り落ちてはいけないのである。

念には念の入れようである。
同じ所を行ったり来たり、何が気に食わないのであろうか、ちょっとの、ほんの微妙な具合に挟みを入れて行く。
まるで髪の毛1本ずつを切るように。

やっと納得が行ってもらったのであろうか、エプロンを違うのに取り替えた。
はて、もう終わりじゃないのかな?
次は何をするのかな?

ちょっと間を置いて戻って来たおばちゃんの手には顔ブラシとカミソリの顔剃りセット。
あら、裏メニューなの?
おもむろに泡立て、後頭部の裾のあたりに、泡を塗りたくって行く。
あぁ、顔は剃らないけど、裾の仕上げはしてくれるのね。
揉み上げから裾の方にかけて、慎重にカミソリを入れてくれて、ちゃんと蒸しタオルで拭いてくれた。

拭き取りが終わったら、顔剃りセットとタオルを持って裏の方に引っ込んでしまった。
どうやら、その度に片付けをしていくようである。
そりゃそうだ、見習いの若手が先生の横に立って、手伝いをしてくれるような店とは違うのである。

ちょっと間を置いて戻って来たと思ったら、おもむろに挟みに手をかけて、仕上げに入ったのだ。
そういえば、大昔に通っていた正統派の床屋さんは、最後に必ず、もう一度カットの状態を見直して、挟みを入れてくれてたなぁ。

自分の頭も、やっとばちゃんのおめがねにかなったのか、おばちゃんは挟みを置き、エプロンを外してくれ、メガネを取ってくれた。

20分ぐらいで完成。洗髪も顔剃りもないのは願ってもないことだ。

「ありがとうございます、おいくらですか?」
「はい、1500円でございます」

さすがだ、ぼったくりも一切無い明朗会計であった。

自動ドアを開け、店を出る時に、ウインドーに貼ってある「男性カットのみ、1500円」の値段をちゃんと確認した。


あらら、やっぱりカットだったのね。(汗)

The End.

2013年07月07日

2010/01/14(Thu):曇り後雪

入院生活、今日が最終日。
予定通りに退院と、先生から言われるだろうか。

そんなことを気にしてというわけでも無いのだが、今朝は5時過に目が覚めてしまった。
ベッドでゴチャゴチャしているのもいやなので、コーヒーでも飲もうかと食堂に行った。
当然誰もいないので、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、テレビのニュースを見た。

小沢氏の事務所やら何やらに、検察の強制捜査が入ったんだなぁ。
検察としては、中々任意事情聴取に応じないので、強制捜査に踏み切ったと解説があったが。
それと時効の期限に関しても、何か言っていた。
病室ではテレビを見ていないので、リアルタイムな世間が分からないよ。

6時半前だけど、そろそろ人も起きて、食堂へも出入りするようになってきたな。
病室に引っ込んで部屋の人が起き出すまで、静かにしているか。

宅急便で送る荷物はパックしてあるから、後は出してくればいいのだけれど、荷物の受け付けなんかは9時から。
もうちょっと大きな段ボールが手に入ればいいのだけどね。

今回の入院では、テレビを見ないことにして、新聞を徹底的に読むと決めていた。
なので、案外暇では無かった。
それに、字の書き取りで、学生の時以来大量に字を書いた。
ただでさえ下手くそな字なので、たまには集中的に字を書くのもいいのかもね。
残念だったのは、音楽関係の本が無かったこと。
家にもあるわけでは、急ぎの入院には持ってこれなかった。
何か1冊でも調達できればよかったんだけどね。
自分的にはラジオが重要だな。
今回は急遽だったので思うようなものが調達できなかった。
欲を言えば、PCが欲しかったな。
このPDAだと、できることが限られてるからねぇ。
と言っても、持ってこれるようなPCを持っていないから仕方ないのだけどね。
外には、細かいところはあるけど、大体不足は無かったな。
入院期間がもっと長くなるようだったら、それはその時に考えた方がいいな。

今日の新聞は読売。

8時前に最後の病院食、朝食。
メニューは「ごはん、味噌汁、いわし梅おかか煮、小松菜の煮浸し、牛乳」。
全食完食。

出てる薬は、全部戻して、改めて今日からという形で薬が出されることになっている。
大きな片付けは終了。

今朝は医師の巡回と看護師の巡回が同時にやって来た。
医師からはMRIの結果として、腫瘍などは無い。
顔面神経麻痺の通常の所見である神経に所見が見られるとのこと。
来週以外の火曜日に磐井病院にいますとの何とか先生でした。
看護師さんからは、薬を改めて出しますとのことでした。
体温計と入院ガイドを回収して行った。
宅急便でも出して来るか。

キャリアバッグの容量がつらいので、売店にもう少し大きな段ボールをもらいに行って来る。
それでもキャリアバッグはギリギリだ。

事務員さんから支払い手続きの説明を受けた。
診断書はできあがっているそうで、支払いの時にもらってくればいいらしい。
また、領収書を確認するために、支払いが済んだら病棟に戻って来て欲しいとのこと。

今日からの薬を受け取った。
顔面神経麻痺系は1カ月、高血圧は2週間である。
それが無くなったら、磐井病院に行かなくてはならない。

ジャージを脱いで、Gパンとネルシャツに着替えて会計である。
窓口へ降りて行き会計である。
カードで支払いができるので助かる。
窓口は再来受け付けとか計算、支払い、診断書はなどに別れている。
来院している人の割に混乱していないのは、効率的なシステムになっているからだろうか。

病棟の事務員さんに領収書を確認してもらって、病室のT・HさんとY・Dさんに挨拶。
看護師さんへ挨拶を済ませて、下りのエレベーターに乗り込んだ。
長かったような短かったような入院生活もこれで終わりである。
後は入り口の回転ドアから外に出て、バスに乗ればいい。

それじゃ。

The End.


2013年07月03日

2010/01/13(Wed):曇り

看護師さんの巡回で起きた。
6時45分。
体温は6度5分、血圧162−102。

寒そうな朝だ。
雨は降っていないようだが、昨夜は降ったようだ。

今日は午後からMRIの予定。
昼食はストップになる。
A・Iさんは午前中に退院。
誰か入室してくるかもしれないなぁ。

今日の新聞は河北新報にした。

8時前に朝食。
メニューは「ごはん、味噌汁、五目卵焼、ひじきの煮物、かぶと胡瓜の酢の物、牛乳」。

朝食前に看護師さんが薬の補充をしてくれた。
ガスターに替わってムコスタ錠が出た。
ダブったりしてわけわからん。

8時半過ぎ、洗面の後に医師の巡回。
磐井病院の確認と薬の確認、MRIの確認など。

9時前に、看護師さんの巡回。
1015号室を女性部屋にするので、隣に移動してほしいと告げられる。
テレビ台とベッドはそのまま使うので、ロッカーを整理する必要があり。
お風呂に入る前にロッカーの荷物を整理する。

9時半、ベッドとロッカーごと1013号室に移動。
ベッドの位置は同じ場所の、入って右側の廊下側。
一晩だけこの部屋に入ることになる。
まとめた荷物は、あまり広げない方がいいかな。
明日の荷造りが大変になるか。
どちらにしても、明日は宅急便で送ることにする。

新しい部屋はガンのT・Hさん、手術中のK・Tさんと、今日から入院したY・Dさん。
K・Tさんは手術後にICUに行くので、会えないでしょう。
たY・Dさんに看護師さんが、入院説明してます。

10時半、A・Iさんが退院して行った。
部屋移動のどさくさで、挨拶できないかと思っていたら。A・Iさんの方で出向いてきてくれた。
鶴ケ谷の実家に1、2泊してから東京練馬の自宅に戻るそうです。

11時半ぐらいに看護師さんからMRIへの招待。
予定が少し早まり、午前中にMRIができるという。
お昼はストップになっているので、終わったら好きなものを食べてくださいとのこと。
いざ、MRIへ。

ピーピー、ガーガーうるさかったが、30分ぐらいで無事終了。
途中の注射が痛かった。

いったん病室に戻り、財布を持って食堂へ。
職員食堂と一般食堂は区切ってあるが、隣り合わせになっていて、内容は同じだ。
天丼にしようかと思って行ったけど、券売機の前でカツ丼の誘惑に負けてしまった。
610円。
久しぶりの一般食なので美味しい。
やっぱり味は濃いな。
でも味噌汁の塩分は薄そうだ。

14時半過ぎ、看護師の巡回。
検温と血圧の測定。
久々の140台と。
退院は明日の午前と確認、大丈夫なのだろう。

14日の退院を上司に報告し、16日(土)からの出社をお願いして了承をもらう。
日程表の関係もあるので、先輩にも報告し、16日からの出社で了承をもらう。

ゆっくりしようとタリーズでコーヒータイム。
バニラロールも食べる。
店内に会計窓口の受付番号が表示があった。
今は15時15分だけど、800番を表示している。
明後日はとりあえず、銀行でお金の用意と学費、保険の入金が必要だな。

事務員さんが入院費の概算を出してくれた。
それによると、おおよそ10万円ということです。
これだと保険屋さんの払い戻しはいいかな。
高額医療にも引っ掛からない。
年末の医療費控除でやっと払い戻しがあるか。
会社用に診断書を発行してくれるように依頼した。
退院までに間に合うかどうか分からないけど、間に合わない場合は郵送でお願いすることにして。
間に合うといいんだけど。(汗)

Y・Dさんは、入院でナーバスになっているのかな。
今は何かを紙に書いているようだけど、昼間はずっと窓の外ばかり眺めていた。
それに、一言も会話が無いし。
愛子に住んでいるらしい。
T・Hさんは話し好き。
大和町在住で、何度かガンの為に入院を繰り返しているらしい。
現在は60歳で58歳の時に、仕事を続けられず退職したそだ。
現在は無職なので、経済的に苦しいとこぼしてた。

そろそろ夕食の時間。
お湯をくんでくるついでに、血圧。
126−77、体重は66.8。
自動で計ると低い値なんだけどなぁ。

今日の夕食は「ごはん、味噌汁、鰤の照り焼き、じゃが芋の煮物、ホウレンソウのピーナッツ和え」。

ウロウロしながら腹ごなしでもするか。

病院最後の夜なので、病院内をウロウロした後、タリーズでゆっくりする。
何とはなしにもって来た冊子を眺めながら、エスプレッソを1時間かけてすする。
できればスタバであってほしかったが仕方ない。

部屋に戻ったら弟が来てくれた。
義妹さんから借りていたラジオを返しながら、MRIの感想やらを話した。

東北大学医学部付属病院なんて、そうそう来るところでも無いし、ましてや入院なんて一生に一度ぐらいではないのかな。
磐井病院の提携になっているのだから、確率としては低くないかも。
次に来る時は全館新しい病院に生まれ変わっているのかもね。


2013年06月30日

2010/01/12(Tun):曇り後雨

隣のいびきか、肌寒くてか目が覚めた。
とりあえずトイレに行って、そのまま起きることにする。
コーヒーでも飲もうかと、お湯をくみに行く途中で、自動血圧測定測定器をの時計を見ると、なんと3時47分、まだ起きる時間では無かったな。
でも、戦闘体制になってしまったから、起きることにした。
マンガでもあればちょうどいいのにね。

昨夜、作詞をしてみた。
新幹線にゆられながら作った詞のやり直し。
思い出しながら、作ってみたけど、やっぱりファーストインプレッションのような訳にはいかない。
なにか取って付けたような感じになっている。
それに曲割りに合わないし
曲割り起こしてからの方がいいのかも

やっぱり早き起き過ぎ
眠くなってきた。

看護師さんの巡回で体温と血圧の測定。
体温:5度6分
血圧:142−93
体重:66.0

新聞置き場から昨日の河北新報を持ってきた。
なにか読むものが無いと、手持ち無沙汰になってしまう。
今日の新聞は、日経にするか。

あら、新聞やさんはどこへ行った?
声が聞こえなくなっちまった。(汗)

万年筆、2本目インクが無くなってしまった。
ずいぶん早いな。
持ってきてもらわないとだめかなぁ。

8時少し前に、朝食配膳。
メニューは「ごはん、味噌汁、納豆からし付、こんにゃくの甘辛炒り、お浸し、牛乳」。
納豆にネギが付いていたけど、パス。

A・Iさんはコンサルト会社だそうです。

結局新聞屋さんは行ってしまったので、売店から日経を買ってきた。
1部160円とは強気だな。

あまりに早起きだったので、うとうとしかけている。
医師の巡回で、明日のMRIの確認と血圧のために磐井病院への紹介と耳鼻科への引き続きの診察の確認。
10時に教授の診察があるので、ナースステーション前の診察室へ集合ってことで。

10時の予定にしていたお風呂は、夕方16時半からに変更。

教授の診察といっても、特別に変わったことをする訳ではなくて、いつものように目の閉じ方とか顔面神経を確認するだけ。
いままでの診察と投薬の結果などの確認。

昼前、A・Iさんと話し込んでいたら、先生から13日にMRIをやって、結果次第では14日に退院にという話し。
その後は磐井病院への耳鼻科と循環器に行って、治療を続けろとの話し。
血圧の薬は2週間、顔面神経の薬は1カ月出すから、無くなる前にと。

そうこうしている内にお昼が運ばれてきた。
メニューは「穴子ちらし、沢煮椀、もやしの薬味和え、きのこのマリネ、果物」。
お湯をくんでくるくるついでに、血圧の測定。
145−95

ちょっとうとうとしてしまった。
もう14時。
さっきの看護師さんの巡回。
体温と脈を計ったのだけど、いくらだったか覚えて無い。
MRIは午後なのだけど、空き時間を利用するので何時と決まっているわけではないらしい。
しかもお昼はストップ。
MRIを終わった後に食べるらしい。
造影剤の投与の承諾書にはサインしたよね?

そろそろ16時半だから、お風呂に入ってくることにする。
学生時代の銭湯みたいな時間だな。

18時前に夕食。
メニューは「ごはん、味噌汁、チキンカツ、京菜の煮浸し、春雨の酢の物」。
一緒に残っていたパンも食べたけど、美味しくなかったな。

知らないうちに雨になっていたようだ。
お湯をくみに行って、外を眺めたら滴が着いてた。
明日から寒気が入って寒くなるらしい。
もっとも、病院内は23度で一定だから、心地よい。
ちっと暑いかも。
夏なら何度の設定になるのかなぁ。
28度ぐらいかな。

とりあえず2番まで書いて見た
【誰でも】
あまりにも稚拙というか幼稚?(汗)


2013年06月26日

2010/01/11(Mon):晴れ

看護師さんの巡回で目が覚めた。
6時45分過ぎ。

血圧、183−116で薬飲んでみる。
朝食前に計り直す。

今日の新聞は産経、100円なのねぇ。

朝食前の血圧測定でも結果は変わりなし。

7時47分、朝食の配膳。
メニューは「ごはん、味噌汁、さんまの蒲焼き、お浸し、フリカケ(鉄之助たらこ)、牛乳」、フリカケはパス。
朝食後の薬完了。

飲んでいる薬を記録しておくか。
9日までの点滴、ステロイド
10、11日臨時処方でプレドニン錠5mg:朝食後4錠(ステロイド剤)
メチコバール錠500μg:毎食後1錠(ビタミンB12を補給)
アデホスコーワ顆粒100mg/g:毎食後1包(エネルギーを補給)
バルトレックス錠500mg:毎食後2錠(ウイルスが増えるのを抑える)
プロプレス錠4mg:朝食後1錠(血圧の上昇を抑える)
ガスターD錠20mg:(胃酸の出過ぎを抑える)
ヒアレイン点眼液0.1%5mL:1日4回(目の乾燥を防ぐ)
フラビタン眼軟膏0.1%5g:ビタミンB2不足で起こる炎症をしずめる)−寝る時に

9時半、今日もこの時間に入浴。
祝日なので医師の巡回は無いと思ったけど、一応ね。
で、風呂上がりに洗濯。
ジャージも突っ込むから、乾燥に時間が掛かりそうだ。
ついでにこの時間に、昨日のパンでおやつ。
何だか詰め込み過ぎてて、忙しいな。(汗)

ハサミが欲しくなったので、買い物へ。
ついでに耳かきも買っちゃったよ。
帰りは、階段を昇ってきたら、も大変だ。
さすがに10階はきつい。
最後なんか足が上がらない。
途中、7階の扉は一般患者は使ってはだめと貼り紙があった。
なんで、7階だけなんだ。

洗濯物の乾燥が終わった。
1時間だと、バスタオルはアウトだな。
まだ乾いてないや。
仕方ないので、背もたれで乾かすよ。

さて、お昼なのでお茶。

昼食は「ごはん、白身魚の照り焼き、大根の吹寄あん、酢醤油和え、果物盛合わせ」。
結構苦しいな。
もう少し、少なくてもいいかも。

洗濯物、畳んでおかないと。

13時45分検温6度4分と血圧152−84
1日3回の自己計測するようにと、記入用紙をもらった。

今日は随分早く新聞を読み終わってしまった。
15時頃に血圧計って、階段を昇るか。(笑)
とりあえず、「巨悪」読むか。

隣のA・Iさんは、そろそろ退院という話しが出ているみたいだけど、まだ正式に医師からはないらしい。
あしたの巡回で申し渡されるんじゃないかな。
そんなこともあるからか、さっき普段着に着替えて外に散歩に行った模様。
午前中は結構長かったけど、普段着の散歩だともっとゆっくりできそうだよね。

なかなか書けなかった「あの人」を1本書き終わった。
ずっと気になっていた「S・T」。
時間はたっぷりあるのだから、もっと違った人についても書けるかも。

15時、血圧測定。
139−87。
その後、病院の敷地の回りを散歩してみた。
速足で歩いたのに、たっぷり30分もかかった。
ちょっと西側は柏木2丁目なんだなぁ。
友達は1丁目だったっけか?
案外近くだったんだな。
はぁ、疲れた。

やることが無くなってしまったので、字の書き取りをしてたら、そろそろ夕食の時間。
ワゴンで運ばれて来るけど、条件によっては丈夫のファンが回って、多分ヒーターで温風が出てるかも。
ここに来るのは、その音はしないけどね。
今晩のメニューは「ごはん、中華スープ、オイスターソース炒め、しのだ巻の煮物、めかぶ」。

風呂は17時半が最後らしいので、その辺りに入ったらいいかなぁ。
でも、午前中に入っておいた方が、後が楽だけどね。
明日は教授巡回ってのがあるらしいんだけど、何時頃かな。
それをかわしてお風呂に入りたいなぁ。

後、血圧の自己測定の時間をどうするか。
看護師さんの時間と被っても仕方ないしね。

で、看護師さんの巡回前に、血圧測定。
147−84。
体温は巡回の時に、5度8分。

また字の書き取りをした。
本格的に暇かも。

で、なぐり書きを1本書き上げた。
最近のなぐり書きは1つのテーマについて書いている。
そういうふうにしようと思ったのではなく、ネタが見つからないから、書けないというのが本当なのだ。(汗)


2013年06月23日

2010/01/10(Sun):曇り時々晴れ

6時過ぎ、A・Iさんの起きる音につられて目が覚めた。
何だか寝て無いような、ちょっと寝たような感じ。
消灯時間が早いので、その辺の感覚が良く分からない。

軟膏目薬、昨夜は拭き過ぎてしまったかも。
目は乾いてる感じがする。

さて、今日の新聞は読売にしようかな。

朝のコーヒーのためにお湯をくんできた。
途中に今日は体重計測の日なので、記入シートが用意されていた。
計ってみたら、66.8kgって、増えてる。
ついでに血圧、179−99、高いな。

携帯のニュースによると、おうし座は最低の12位らしい。
げげっ。

7時45分、朝食配膳。
今朝のメニューは「キャロットパン2、ロールパン1、ブルーベリージャム&マーガリン、スープ、チキンオムレツ(トマトソース)、野菜サラダ、牛乳)、A・Iさんからアロエのヨーグルトもらった。
結構お腹一杯になるな。

今日から点滴が無くなって、その代わりの薬が出た。
朝は合計6種類飲んでます。

グルーミング開始。

おう、今日はでかい方も出てきたぞ。

お風呂は9時半からにしてあるので、それまでの間は字の書き取りをすることにする。
今日は1行使いで小さな文字。
慣れるまでが大変だ。
おまけに、左目は涙目になってるし。

調子に乗っていたら9時半を過ぎてしまっていた。
あわててお風呂へ。
腕時計をしていかないと、上がる時間が分からなくなるぞ。
今日からは点滴がドレンのカバーをしなくても良いので、体を洗うのも楽で良い。
助かるぅ。

今日の風呂上がりは妙に暑いので、コーヒーではなく、アクエリアスを飲むことにする。
風呂上がりの冷たいものって美味いね。

字の書き取りを、残っている文を終わらせるか。

11時40分昼食、メニューは「ごはん、八宝菜、ナムル、おろし和え、果物」、って果物の記憶が無いな。
食事中、弟家族が来た。
後で実家からも、お袋達が合流することになっている。
12時半過ぎにやって来た。
しばらく病室で話しをしてから、食堂へ移動、みんなでおにぎりやパンをつまんだ。
夕飯までにお腹が空くかどうか心配だ。
まったりと、15時過まで食堂で過ごした後に、全員で帰って行った。
さくら野百貨店の所から一関行きの高速バスで帰るため。

また独りの部屋に戻り、のんびりしている。
家でならば良いのだけれど、こうゆうところでゴチャゴチャいるのは大変だ。
実家からは13日にまた来るそうだ。MRIがあるから。

ホッとしたしたところで、血圧測定。
161−91、ちょっと下がってるかな。

新聞を読んでいたら、眠くなって来たのでウトウト。
17時45分頃に夕食の配膳。
メニューは「ごはん、味噌汁、さわらの七味焼、刻み昆布の煮物、かぼちゃのそぼろあん」。
結構苦しい。

これ、書いている所へ弟からメール。
お袋がお見舞いを枕の下に置いて来たので確認をって。
確認しました。

今日はお袋が、宮下から朝日新聞を持って来たので、今日の新聞は2部って事になってしまった。
記事の内容に違いがあるのはいいけど、同じ記事だとさすがに辛い、飽きる。
それでも、今日は2部読んだ。

20時過ぎ、看護師さんの巡回。
もう、そんな時間なのか。
血圧、160−110で下が高いな。

今晩から「巨悪VS言論」を読み始めるか。

今晩は程よく軟膏目薬を塗ってみた。
左目には幕が張っているが、前よりも良い感じだ。
これならちょっと本を読んでも大丈夫かな。


2013年06月20日

2010/01/09(Sat):晴れ後曇り

はぁ、また文字化けだ。

今朝は6時半ぐらいの看護師さんの巡回で起きた。
検温と血圧。
体温は6度0分、血圧は自動血圧計で151−89でちょっと下がった。

今日の新聞は毎日にした。
徹底的に読もうと思ったら、1日でも足りないぐらいだ。

8時少し前に朝食。
メニューは「ごはん、味噌汁、じゃが芋の炒め煮、白菜のおかか和え、味付のり、牛乳」。
今日も頑張って牛乳を飲み干した。

文字書き取りを早い時間にやってしまったが、今日は2行を使い2ページを埋めた。
文字を大きくするとやはり書き易い。

10時からは風呂。医師の巡回があると思ったら無かったので、土曜日は9時からでも良かったなぁ。
今日まで点滴があるので、ドレンのカバーは欲しいけど、明日から着けなくてもいいのは助かる。

10時50分ぐらいにナースコールして、点滴をしてもらう。
最後の点滴は3時間のコース。
最初は少し落ちが悪かったようで、チューブをいじっていたが、ちゃんと落ちてくれてる。
サイズは同じものなので、落ちるスピードが早い。(笑)

点滴をしてもらってから、病院に入って初めての洗濯をしてみる。
義妹さんがしてくれると言っていたが、一人でやる楽しみもあるのだ。
とは言え、要領が分からないのでどうなることか。(汗)
洗いは30分だ。

11時45分頃お昼が運ばれて来た。
食べながら洗濯物の乾燥待ちである。
4日分だと30分の乾燥では厳しいかも。
但し、コールのシャツが1枚入っている。
後は下着上下だけ。
で、結局乾燥は1時間コース。

そうこうしている間に点滴が終わってしまった。
1時間半のショートカット。
乾燥器から洗濯物を取り出してる間に終わってしまったので、血管から血液が逆流してしまった。

点滴のスピードが速かったのか、どうりで集中力が落ちていたわけだ。
新聞を読んでも頭に入らない。
ご飯を食べりゃお茶はこぼす、蓋は料理の上に落とす、味噌は飛ばす。
歩こうと思えば、点滴のチューブを引っ掛ける。
動こうと思えばラジオからのイヤホンコードを引きつらせる。
多分、体内への流入量が多かったんだな。

さて、洗濯物をたたもう。

せっかく病院に入院したのだから、院内の床屋さんに行かない手はない。
病院の床屋さんなんて、めったに入る所ではないだろう。
ってことで散髪。
そう、散髪がふさわしい。
20分ぐらいで完成。
洗髪も顔剃りもないのは願ってもないことだ。

床屋さんから戻ると、ちょうど看護師さんの巡回だった。
検温と血圧測定。
血圧160−104で高目だなぁ。
体温は6度2分平熱。

床屋さんから戻る時に、院内のTULLY'Sへ入って日記の続きを書くことを決めていた。
ホットコーヒーのMとアップルパイを注文。
570円は高いのか安いのか。
甘みを抑えたアップルパイがオシャレだ。
壁際のカウンター席でこれを書き続けている。

15時ぐらいまで小一時間かかって、床屋さんの体験記をかいて、病室に戻って来た。

今日の新聞、毎日も読み終わってしまった。
うまい配分で読めるようになったのかな。
時間の掛かる診察も無いから、時間に余裕ができたのかも。

で、また弟の持って来た本を読むことにする。

夕食は17時40分頃配られた。
メニューは「ごはん、かき玉汁、ポークステーキ、酢味噌和え、野沢菜漬け」。
ステーキと言うには悲しいぐらいに遠い、薄いロースが1枚。
酢味噌和えはわかめの酢の物的な。
頑張って食べた。

20時35分看護師さんの巡回、血圧の測定と軟膏目薬の点け方。
血圧は169ー93だったかな。
高いなぁ。
目薬は点けた後に視界不良になるので、本当に寝る前の方が良いみたいだ。

弟からの本は、今晩読み終わるのは難しそう。

と言いながら、読み終わってしまった。
なので、明日からはまた「巨悪VS言論」を読むことにする。


2013年06月15日

2010/01/08(Fri):曇り後晴れ

6時49分看護師さんの巡回で起床。
検温と血圧の測定、体温は6度8分血圧は162−86。
3時過まで寝れず。薬のせいらしいが睡眠剤はもう少し頑張ってみてからにしてもらう。
寝る時に正食綿の眼帯するが、やはり自分ではうまく張り付けられない。

とりあえず朝のお茶と新聞、今日は朝日。

今日の朝食「ごはん、味噌汁、焼魚(鮭)、野菜炒め、おろし和え、牛乳」。
おろし和えは酢が入っていて、今一だったなぁ。牛乳、今日も頑張って飲んだ。
看護師さんの巡回、入浴を10時からするので、点滴はそれ以降でと依頼、入浴終わったら連絡くれとの事。
9時前に医師の巡回、顔面の神経は正常時に比べると43%と告げられる。
入院中に完治はせず、最低1カ月はかかるかもと。
まぁ、当初からの予定織り込み済み。
入院期間が2週間にという予定がずれたこと以外は、予定どおりに進んでいる感じ。

グルーミングした後、ちょっと散歩。
外来受付わきの支払いブースで、カード支払いが可能なことを確認、あわてて定期を崩す事やヴィザ借り入れをしなくても大丈夫。
もっともどちらにしても、定期は解約しないとヴィザの支払いができなくなる。

部屋に入る前に、上司に入院がとりあえず2週間になったことを告げる。
あまり気にするなとのこと。
午後に先輩にも連絡が必要。

予定どおりに10時から入浴、10時半に出てネスカフェを入れてナースコール。
点滴を始めてもらう、今日も5時間だとすると終わりは16時前かなぁ。
でも、今日の予定は無いので、ゆっくりできるかな。(笑)

午前中、点滴をしながらゆっくり新聞を読んでいたら、眠たくなったのでうとうとした。
どうも点滴は明日で終わりらしい。1日早く終わりますって、2週間の予定では無かったの?
飲み薬治療も含めて2週間だったのか。(汗)

ちょっと間を置いたら、昼食のアナウンス、早いなぁ。
メニュー「ごはん、ドライカレー、スープ、サラダ、フルーツポンチ」、メニュー外で間違ったのか、キュウリの漬物。
漬物は高血圧悪いのでパス。(笑)

さて、病室の住人、入り口側にM・I氏、隣の窓側にA・I氏。もう一人窓側に居たのだけれど、昨日退院した。
昨日退院した人の名前はM・M氏、ヤンキー風だった。
退院の着替えでシュっと香水を一吹き。でも退院のあいさつは無し。(汗)
M・I氏は耳関係の癌らしい。放射線治療が今日で終わるので、そのタイミングで退院することにしたようだ。
化学治療は受けないで退院することにしたらしい。
迷っているらしいが、副作用が大変なので気になっているのか。
悔いを残ししつつも覚悟を決めているいる風である。
A・I氏は市内鶴ケ谷出身で東京練馬在住の42歳?
急性の気管支系疾患で2日に入院したそうである。
退院は来週ぐらいだそうである。

食後の薬を飲んだ後、また字を新聞から拾って、レポート用紙1枚に書いた。
新聞を読んでいたら、うとうと。
14時40分ぐらいに検温と血圧測定で目が覚めた。
体温は6度2分、血圧は120−76ごらいでぐっと下がってくれた。

M・I氏が最後の放射線治療にいっている間に、奥さんが片付けをして退院の準備をしている。
相応の年齢ではあろうが若さを感じさせる。

先輩に連絡を入れ、入院期間が14日間になった事を報告し、予定表の修正をお願いした。
当然ながら入試の期間に入るので、調整が必要になるだろう。

5日の記録を残していなかったので、5日分の日記を書き加えた。

先程、M・I氏が退院していった。
入院慣れしているようで、あっさりとした荷物だった。
化学療法を拒否しての退院だ。
放射線治療のみでは完治は難しいだろう。
そのことは彼も重々承知なのかも知れないし、その先のことも理解はしているのだろう。

点滴は予定どおり16時半ごろ終了。
床屋で髪を切ろうと思っていて、すっかり忘れてしまった。
明日にしても大丈夫かな?

後輩に連絡を取って、休む前の仕込みの設定を確認させている。
他にに郵便物の確認と振り分けの指示、請求書の取り扱いの指示を出した。
まぁ、問題は無いだろう。
で、後輩から仕込みの設定の件、正常に差し代わっているとのメールあり。
OK。

家から車のことでメールあり、パッキンが割れて冷却水が漏れていたからということだった。
明後日、来た時に車代とちょっとお金を渡すことにした。

夕飯のメニュー「ごはん、味噌汁、かじきの煮付け、山東菜と油揚げの炒め煮、はりはり漬け」。

19時頃に弟の家族が来た。
頼んだ物を調達してくれた。FMが聞けるのがうれしい。
水筒はカップ2杯分、やっぱりもう少し多くてもよかったなぁ。
耳掛け式のイヤホンを買って来てくれた。
大きな音で聞けたらなぁと思う。

看護師さんの巡回が20時15分頃あり。
体温は6度4分、血圧182−96で高目、消灯時にもう一度計り直すことに。

消灯前の計測では168−62でちょっとだけ下がった。
明日は自動血圧計で計ってみることにする。


2013年06月12日

2010/01/07(Thu):晴れ

テーブルに足をぶつけて、目が覚めた時は電気が点いていた。
6時過ぎていたのだろう、まだ起きる時間ではないので、もう一度寝ることにする。
7時ごろに起き出してた。夕べの寝た時間が早かったので、案外すっきりと目覚めることができた。
8時少し前に朝食が配膳された。
今朝のメニューは「ごはん、味噌汁、納豆、じゃがいものソテー、お浸し、牛乳」。
牛乳は何年ぶりかで、そのまま飲んだ。

今日の予定は、9時にお風呂、10時から検査、検査終了後に点滴。

朝の巡回で血圧が高いと指摘があり、高血圧用の薬を処方すると言われた。
まるで老人だ。
点滴のステロイドの影響によるものだろうとのこと。

検査前の9時にお風呂を予約したので、入ってくる。
持ち時間は30分しか無いがゆっくりできた。
点滴挿入装置を長めのビニール手袋でガードし普通に入ることができる。
ただ左目がうまく閉じれないので、髪を洗う時にガンガン目にしみる。
看護師さんからテープで瞼を張るといいとアドバイスをもらう。
なるほど。
浴室はかなり広いので、気持ちがゆったりできる。
けれど、普通の浴室用椅子が無いので、体を洗う時などが大変だ。
介護用の椅子はポジションが高くて、これまた大変なので、使わない事にした。

10時から病理検査で、検査室に向かう。
最初は顔面の神経の電気的な反応の検査。
技師さんの思うような波形にならないようで、先輩の技師さんも加わって、何回かのやり直しをした。
電気的なショックが結構あって、ビリリと痛い。
次が味覚の検査。
これまた技師さんの思うようなデータにならず苦労していた。
最後に前に右側の麻痺があったことを話すと納得していた。
最後は涙の検査で、コンタクトレンズを入れた時にした検査と同じような検査である。
ただ、アンモニアの匂いを嗅いだ時の刺激に対する量も測定された。
結果として、刺激があっても無くても、左右はあまり変わらないそうだ。
時間が1時間半以上と結構要したのは、やはり検査し直しせざるを得なかったから。

タイミングは良いようで、病室に戻るとすぐに昼食が出て来た。
メニューは「ごはん、銀たら照り焼き、豆もやしの煮物、れんこんの酢の物、果物盛合せ」。
味噌汁が無いのは、やはり高血圧のための減塩食なのかな?

昼食後に今日の点滴開始。
今日は5時間半の予定。

点滴をしながら、必要な買い物をして来た。
お茶のティーパック、ネスカフェ、ガム、小物用のカゴ、河北新報。
水筒が欲しかったけど、ちょうどいい物が無かったので、弟に買ってきてもらうことにする。

買って来た新聞は、隅から隅まで読もうとすると、かなりの量があるので、結構な時間つぶしになる。

薬剤師さんから、処方されている薬の説明があった。
医師からの説明よりも多少詳しく説明された。

この際だから、字でも書いて時間をつぶそうかと、レポート用紙を買ってみた。
こうなると中々忙しくて、全部はこなせないような気がして来た。
のんびりは入院していてもできないのか。

17時半ごろ夕食が運ばれて来た。
メニューは「ごはん、味噌汁、鶏肉の山椒焼き、五目きんぴら、和風サラダ」。
当然完食。

点滴は予定時間を2時間もオーバーして終了。
しんどかった。
消灯まで後1時間半なので、少し散歩でもしてくるか。
そういえば、夕食後の薬を飲み忘れて、さっき飲んだ。
危なかった。

20時半ごろに看護師さんの巡回があり、検温と血圧の測定があった。
体温は6度2分。血圧は162−96、まだ下がらない。


2013年05月30日

2010/01/06(Wed):晴れ

一ノ関8時22分発の新幹線はやてに乗った。
仙台駅のバスプールの10番から大学病院前まで、少し時間がかかったが、それでも予定の時間がより早く着いた。
荷物を置き新患受付で手続きをした。
少し待ってから耳鼻咽喉科のへ外来へ行くように指示があったので、耳鼻咽喉科の外来で受付をした。
程なく聴力検査をして呼び出しを待つ。データが取れていない部分があるとのことで、やり直した検査があった。
その後、磐井病院で診てもらった先生の診察を受ける。
問診と顔面の診察で、なんとか麻痺で14日間ぐらいのステロイド点滴治療と診断される。
次に、血液検査と尿検査の後に、入院手続きをして新西病棟10Fへ行くようにと、指示を受ける。
耳鼻咽喉科病棟へ行き受付、1015号室へ案内される。

病室にには癌、気管支系に炎症を起こした人、耳の患者さんがいた。
耳の患者さんは7日退院するらしい。

血液検査の結果が出るまで点滴ができないとのことで、それまでの間に病院内の喫茶店で、ビーフシチューセットを食べる。
戻り際に売店で買い物をした後に、病室に戻り、病棟内を案内されったり、検査日程の説明を受ける。
血液検査の結果がOKだったので、16時頃から点滴を始める。
大体4時間ぐらいかかるとのことだったが、21時過ぎに終わってくれた。

初めての病院食、晩ご飯は「ごはん、味噌汁、白身魚のアンチョビソースかけ、ほうれん草のお浸し、せんとろろ」。
とびきり美味しいと言う訳ではないが、どちらかというと美味しいと部類に入るんじゃないかな。薄味はちょっと辛いが。

21時の消灯だったが、回りはプライベートで起きてるみたい。
俺も22時ぐらいまで起きていた。

期間が14日間以上ということで、入院費が心配になってきた。
まぁ、それはなんとかするとしよう。
あとは時間をどうやってつぶすか、音楽だけでも、文章書くだけでも、本を読むだけでも飽きてしまうな。

ノートPCでもあれば、もっと自由度が高いんだけどな。

2013年05月28日

2010/01/05(Tue):霙

また顔面神経麻痺の再発である。
本当は昨日までが年始の休みだったので、磐井病院で診てもらうつもりで電話で予約を入れた。
けれど、予約は一杯で、一番早いのが今日の15時半だった。
上司に断りをいれて、磐井病院へ。

最初は総合受付で受付をするらしいのだが、総合受付の人がいないと勘違い、直接外来受付をした。
ちょっと待ってから、聴力検査。
その後に医師の診察。
顔の表情を診て、カルテ上では前回よりも酷く全麻痺に近い状態とのこと。
即断で東北大学医学部の付属病院に来て点滴で治療した方がいいと告げられる。
1週間程度の期間、ステロイドの強めの点滴をするので、入院すれば万が一の不測の事態が起きても、病院として対処できるとのこと。
ちらっと不安はよぎったが、勧めらるまま入院を決断。
1週間程度なら、職場には迷惑をかけるが時季外れのバケーションだと軽い乗りである。(汗)

会社に戻り、当面の処理と継続していた障害への対処のメールなどをこなし、年始最大の行事の題字差し替え設定をする。
確認はしてあるので大丈夫だと思うが、一応後で後輩に確認させる。

上司からは準備があるだろうから帰ってもいいと言われたが、最後まで仕事をして来た。
家族を付き合わせてイオンで入院準備の買い物をした。
1週間程度だから、それほどでも無いと思うのだが、それでも相応になってしまった。
帰ってから、手持ちのキャリアバッグに荷造りして、寝ることにした。

サイトの掲示板は荒らされないように、お断りの看板をBBSの入り口にかけた。
CGIのディレクトリを変更して、直接入れないようにした。
大丈夫だろう。
mixiの日記に明日から留守にすと書き込んでおいたし、ブログにも不在になることを書き込んでおいたし。

飲もうと思ってたのに忘れてしまった。
寝たのは、結局4時近くだった。


ついでなので、入院の準備を書いておこう。

■衣類■
・ 下着
・ パーカー
・ 靴下
・ スリッパ
・ 退院の時の服

■飲食関係■
・ お箸と割り箸 (念の為)
・ スプーン
・ カップ
・ ふりかけ等

■お金関係■
・ テレフォンカード
・ クレジットカード (退院の時の支払い用)
・ 小銭

■文房具■
・ システムノート
・ ザウルス
・ 筆記用具

■遊具■
・ 本/ウォークマン/雑誌/等 お好みで

■洗面・お風呂グッズ■
・ タオル 3枚
・ バスタオル 3枚
・ 歯ブラシ
・ 歯磨き粉
・ リンスインシャンプー
・ 石鹸
・ 鏡
・ 爪切り
・ 電気かみそり
・ <洗面器>

■備品類■
・ 普通のティッシュ  1箱
・ S字フック / マグネットフック
・ コンビニなどで、買ったモノを入れてくれる袋
・ 小さ目の置時計
・ 耳栓
・ <ウエットティッシュ>
・ <はさみ>
・ <洗濯用品 (洗濯ネット・洗濯洗剤)>

■病院指示■
・ 印鑑
・ 保険証
・ 診察券


2013年05月22日

2009年の暮れから、どうも顔面神経麻痺が再発してしまった。
年末年始はどうしようもないので、2010年1月4日に岩手県立磐井病院の予約センターに電話を入れた。
そしたら、耳鼻咽喉科は5日の15時半しか空いていないと言われたので、なるべく早くと思いそこに予約した。
磐井病院の耳鼻咽喉科は、東北大学病院から医師の応援をしてもらっているらしい。
5日、診察に行ったら、飲み薬で時間をかけても治るかどうか難しいので、大学病院に入院して点滴で集中治療をしたほうが良いのではと告げられる。
それではと言うことで、翌6日に東北大学医学部付属病院の耳鼻咽喉頭頚外科に入院し治療をすることになった。
この日記は、入院から退院の日までの、病院生活の様子を綴ってみた。


とりす
なかなか納得できる一枚が撮れなくて四苦八苦してるけど、撮りためた写真をブログでもアップ。


月別アーカイブ