★あの人は今・・・

2018年01月19日

彼女とは専門の時の同級生。しかもたった1学期だけの同級生。
前にここに書いた同級生の彼女だった。
いつごろから話すようになったのかは覚えていないんだが、仲の良いグループが出来上がったときにはすでに友達の彼女になっていた。なのでグループの中にいたから、いつも授業時間やお昼時間は席が後ろだったり前だったりした。
第一印象は高卒にしては派手な感じだなぁと思っていたが、当時流行っていたサーファー風の服と化粧のせいだったかも知れない。街を歩けばそんな格好の女性はいくらでもいたが、学校の中ではちょっと目立った存在だった。
彼女は浦和だったか大宮だったかの人で、商業系の高校を卒業したと聞いた。
おかげで1年生の1学期に履修しなければいけない商業簿記は救われた。彼女のノート丸写しだ。(汗)
普通高校卒の俺とすれば簿記なんて見たことも触ったことも無いのだ。
そんな彼女とは飲みに行ったことも無かったし、友達が麻雀屋につれてきたことも無かった。そういうわけで、学校の中だけの彼女しか知らないのだ。
どういうことがあって、夏休み以降に学校に出てこなくなったのかは分からないが、ある日の混雑した京浜東北線の中で偶然に彼女と会ったことがあった。
その時話したことで分かったのは、友達との中は終わっていて、六本木辺りの会社にOLとして働いているということだった。
そういえば学校で目立っていた彼女の、その時の服装はOLさんのスーツ姿だった。
今も元気なんだろうか。


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2017年12月25日

俺が小学校の時に入院していた西多賀療養所の隣の病室の一つ上の男の子だ。
彼はペルテスという病気で、普通に生活していると股関節の骨が崩れてしまうので、骨が成長し固まるまで活動を制限しなければならないという状況だった。そして、その病棟に入院していた多くの子供たちがその病気だった。
俺が入院していた病棟は下は小学生未満から上は6年生のまでの児童がいた。隣の病室にいたその男の子は6年生で俺の1つ上の学年、その病棟では一番年上ということになる。
最初の印象では体が大きく、どっかりとベッドに座っていたので、どこか牢名主のような雰囲気があった。もちろんそんな事は無かったが、こっちも入院したばかりで勝手が分からないのと年上の人ということから、そういう印象を持ったのだろう。
ひと月もしないうちに、その病室の人たちとも仲良くなれて、授業が終わると良く遊びに行ったものだ。
彼は模型を作るのが得意で、塗装もやり本格的なのだ。プラ模型も上手いと思ったが、鉄道模型も彼の範疇だった。割と大きくレールを床に這わせ、夜は部屋の電気を消して、模型に灯りを着けながら走らせるということも良くやっていた。
中学ぐらいになると物を作ることが苦手になってしまったが、その時は彼の模型好きの影響で俺もプラ模型を作ったりしたものだった。
あの病院に何年入院していたのだろう。その後、いつ退院したのかも分からないし、その後の彼の人生も知らない。
けれど、手先の器用さを生かして、どこかで物作りの仕事をしているのではないかと思っている。
そして、当時を思い出しながら書いていると、何ヶ月か一緒に過ごした子供達の笑顔がよみがえってくる。
みんな元気にしてるのだろうか。


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2017年08月19日

彼女、考えてみれば幼稚園から中学までの同級生だったんだなぁ。
幼稚園の時に、その当時いつも祖母が買い物に行くスーパーマーケットの近くに、彼女は幼稚園が終わると預けられていたので、何度も遊びに行った記憶がある。
その家の道路を挟んだ向かいには倉庫があって、いつもそこが遊び場だった。
また、記憶には無いのだから会ったことは無いのだろうが、彼女のお兄さん(おそらく叔父さん)がいると言っていた。そいういうわけだか知らないのだけど、なぜか「黒い炎」などというロックみたいなソウルみたいな、おおよそ幼稚園児が聴くとは思えないような曲を、彼女とその預けられた家とセットで覚えているのである。
彼女の小学時代の記憶は全然ないから、ひょっとして転校したのかもしれない。その辺は定かではないが、中学の2年の時に、また同じクラスになった。
彼女はリーダー的な存在なので、クラスの女の子たちを引っ張ってくれた。合唱大会とかクラスマッチや運動会とうクラス対抗のイベントになると、彼女を中心に女の子たちが動いてくれるので、クラスが一緒になって大いに盛り上がることができた。3年生の運動会の応援でのキャンディーズの「年下の男の子」の振りは、今では恥ずかしいながらにちゃんと記憶にある。
高校は別々になってしまった。彼女はその後短大へと進み、市内の幼稚園か保育園の保母さんになった。
高校を卒業し、全然顔も会わせなくなってしまったが、数十年ぶりに行きつけの本屋で、これまた久しぶりに会った友達と話しをしているところで会うことができた。
しかし、お互いにかなりの年数が経っているわけだが、相変わらずの調子だったので元気だったんだろう。
その再開からまた10年以上も経ってしまったが、今ではどうしているのだろう。また、ひょんなところで顔を会わせることができるかもしれない。


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2017年08月02日

もうしばらく会っていないけど、ずっと気になっている人がいる。
俺よりも7つぐらい上の先輩で、よく行っていた喫茶店の常連さんである。
当時住んでいた所も、大体は知っているが正確な家は知らない。
本人に確かめたわけではないが、高校の先輩でもあるらしい。
お互いにその喫茶店の常連であったから、よく酒は飲んでいたし、それ以外のところでも一緒に遊んだりもした。
若い常連達で、馬鹿騒ぎをしたり海に行ったり、お祭りに繰り出したり。あるいは車で仙台までドライブしたり、スケボーやスキーをしに行ったり。
彼は必ずその輪の中にニコニコして加わっているのだ。そして、それが全然違和感がなく、そこにいるのが当たり前の存在だった。
彼は俺のように昼間からうだうだとその店にいるわけでもなく、仕事が終わって一度家に帰ってから出直してきていた。だから、登場はいつも7時ごろだった。
いつも酒を飲んでいるということではなく、ほとんどはコーヒーだった。もちろん俺もそうだったし、酒ばかり飲んでいると破産してしまう。
ずっと付き合いがあった当時は、まだ結婚してはいず、そんなに焦っている風でもなかった。何かのんびりとした感じがしていた。
今はその店そのものが営業を止めてしまっているので、彼の行き場所はどこにあるのか。
ひょっとしたら仕事を求めて、一関にいないのかも知れない。狭い一関でもすれ違ったとか、見かけたということも無いのだから、ひょっとしたら遠いところに住んでいるのかも知れない。
とっくに結婚していて、家の中にいて相変わらずニコニコしているのかも知れない。


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2017年06月21日

高校生の時、中学からの同級生達で組んでいたバンドのサイドギター&ボーカル担当。
彼は元々は同じ小学校にいたらしい。クラスは一緒になったことが無かったので知らなかったのだが、後でそういう話を聞いた。そして転校して行ったのだが、中学校の時に沿岸の方からまた戻ってきた。
沿岸ということもあって、きっと数々の修羅場をくぐってきたのかなぁ思わせるような雰囲気を漂わせていた。決して喧嘩をすることは無かったが。
どういういきさつで彼と一緒にバンドをやることになったのか分からないが、彼がギターを弾けるということをリードギター担当の友達が知っていた。高校1年の時は、フォークとかニューミュージックをアコースティックギター2人とエレキベースの3人という形でやっていた。けれどギターの2人はロックをやりたいと思っていたのだろう。2年生になった時にドラムスを入れて、4人編成でディープパープルやツェッペリンなんかのハードロックをやりだした。3年生になって俺が別のバンドに入るまでそのバンドは続いた。
お兄さんの影響もあったためか、どうも彼は俺たちよりも一つ大人びていた。体も俺達よりも一回り大きかった。ライブの時は時々真っ黒なサングラスをかけていたのだが、それが高校生とは思わせないほどに似合っていたから、今思うとおかしい。(笑)
そして、お兄さんから受け継いだグレコの黒のレスポールが、その風貌にぴったりだったなぁと今でも思うことがある。
彼は高専生だったので普段はとても自由にやっていたが、勉強も結構まじめにやっていたのかもしれない。
一度教科書を見せてもらったことがあるのだが、普通高校では数学であるが彼の見せてくれた教科書は台数とか幾何といった分けの分からない教科書であった。(汗)
俺たちは高校を3年で卒業して、ばらばらになってしまったが、彼は5年生まで高専に通った。そしてその後電気関係の職場に就職したと聞いた。
その後一度も会ったことは無いが、きっと今も元気にやっていることだろう。


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2016年10月13日

専門の時の同級生なんだが、名前がHさんだったかTさんだったか定かでない。
同級生といっても俺よりもいくつか上だった。
どこかでサラリーマンをやっていたけれど、やり直したいので専門に入って勉強していると言っていた。
確か奥さんだったか彼女だったかはちゃんといて、なんだかやさ男風でとっても格好良かった。
男の俺でもちょっと惚れそうな感じである。
それもそうだ、全国的にも有名だった族の頭もやったことがあると言っていた。クラスでもシャコタン系や斜眼系の人達も一目置く存在だったのは間違いない。
そういう人というのは、やはり他人を惹きつける何かを持っているものだ。そうでなければ何十人もの人間がその人間の下に集まるわけが無い。
ベースは横浜、ある夏の金曜日に「今晩集会があるんだけど○さん(俺)、一緒に行ってみない?」と誘われたこともあったけれど、その時はご丁寧にお断りした。
今考えるとそういう体験も中々できないから、一緒に交ざってくれば良かったなぁ。(笑)
学校では服装の規則は無かったので、色々な格好をした人達が登校してきていた。
俺のようにGパンとTシャツにビーサン、アロハにチノパン、ネクタイをしっかり締めてスーツ姿。
彼はいつもスラックスと白のYシャツ。しかもシャツの下は下着を着ないで腹にさらしを巻いている。彼曰く「シャキッとしていいんだよ」と。(笑) う〜ん、今考えても格好いい。
彼ももちろん一緒に卒業したのだが、その後の進路については聞いたことが無かった。
今ではきっと、皆から一目置かれるサラリーマンになっているに違いない。出世なんかとは到底遠い彼の世界で。
また、会ってみたいものだ。そして、あの当時はできなかった酒を飲みながら。


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2016年06月18日

彼女、どうして俺のことを知ってたのかなぁ。ほとんど俺とは接点が無かったはずなのに。
彼女は中学の時の1つ先輩である。確かテニス部。そして彼女はきれいだったので、先輩の間からはもちろん後輩からも憧れの女の子として映っていただろう。もちろん俺もきれいだと思っていた。
けれど、中学のときに話しをした覚えもないし、部活とか何か一緒にやったことも無かった。
彼女が高専に進学していたなんて、全然知らなかった。
俺が3年生の時の高専祭、バンドのメンバーとちょっとしたライブをした後に、そこに来ていた連中と小一時間のセッションを楽しんだ。(笑)
俺は高専生ではなかったが、活動していたバンドは元々は高専生が4人で始めたバンドだった。そこからベースが抜けたので、俺が入ることになった。そんなわけで高専祭でライブをすることになったのだ。
そのセッションの後、夜になってしまったのだが、せっかくだから高専祭を覗いていこうということになった。ほとんどのブースではその日の展示は終了していたが、いくつかのブースではメンバーが残って次の日の準備やらなんやらをやっていた。
その中の一つに彼女もいた。何を展示するブースだったか覚えていないのだが、あまり広い場所ではなかったのは確かだ。
ひょいと覗いたら、女の子が二人何かをしている。彼女たちが振り向いた瞬間に、俺は見覚えある顔だと思った。そしてすぐにその女の子が彼女だということを思い出した。
それとほとんど同じぐらいに、彼女は「○○君でしょ?」と俺の苗字を呼んだ。
彼女が中学を卒業してから3年、その当時の幼さは消えとてもきれいになっていた。


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2016年05月23日

俺から見ると、眩しいぐらいの都会っ子だったなぁ。
彼は専門の時の同級生。年は俺よりも一つ上で、東京の板橋から通学していた。
ちょっと長髪で身長が高く、どことなくべらんめぇな口調だった。
いつの頃から仲が良くなったのか、よく覚えていないのだけれど、車の話しとなると必ず彼がいた。(笑)
彼は卒業して就職したら、ダートを走りたいからということでランタボ(ランサーターボ)を買うと言っていた。ヒール&トゥーを教えてくれたのも彼だし、箱根や筑波、首都高もナビゲートしてくれた。そう言えば、荒川の河川敷でスピンターンを教えてくれたのも彼だったな。(汗)
元々は東京の有名な私立大を目指していたけれど、だめだったので専門に入ることにしたと聞いたことがある。就職先は一流電器メーカーの某レジスタ系の会社で、彼曰く「遊園地じゃねぇからな」と言っていた。順調に行っていればそこの電算室、今で言うシステム部門にいると思うが、「次の就職口を探さなくちゃなぁ」と卒業するときに言っていた。もちろん、彼一流の照れ隠しである。
ある時、彼と筑波周辺のダートサーキットで行われるモトクロスを見に行こうということになった。朝早くが辛いので俺は彼の家に泊まることにした。そこの親御さんに会ったかどうかは覚えていないけど、彼の割と広い部屋で寝たことは覚えている。
壁にはレースのポスターやカーディーラーに展示されている車のダミーナンバープレートが飾ってあった。隣の部屋には彼のお兄さんが住んでると言っていたが、その晩はいたかどうかは分からない。
夜中に小腹がすいたというので、インスタントラーメンを作って食べた。その時、彼はねぎを切ってお湯で煮ながら出汁を取ると言っていたが、そんなことをするんだと妙に感心した。(笑)
次の日、筑波の谷田部辺りに車で行ったのだが、開催場所がどうしても見つけられず筑波山を攻めて帰ってきた。往きは松戸のデニーズで朝飯を食ったこと、帰りの環七がすばらしく込んでいたことが記憶に残っている。
あれ、そういえば初めてのライブハウスPitINにJazzを聴きに連れて行ってくれたのも彼だったぁ。本田俊之がピアノでトリオ編成だったがドラムをつのだひろがたたいていた。
ちょっと緊張してチャージしてウィスキーをロックで飲んだんだったな。(笑)
なんだか卒業間際に同じクラスの女の子と付き合うことになって、一緒に学校から帰ったりしていたが、その後はどうなったかなぁ。
ちゃんと真っ当な社会生活を送っているのかなぁ。


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2016年04月22日

友達に聞いた話によると、彼女はシェーカー振っているらしい。
去年(2006年の夏)、本当に久しぶりに彼女の声を聞いた。行きつけの居酒屋のマスターの携帯に電話があって、夏休みか何かで実家に帰って来ていたらしい。
少し前にお父さんが亡くなっているので、ひょっとしたらご法事か何かだったかもしれない。
彼女とは小学校から高校まで同じ学校に通った。同じクラスになったのは小学校の5・6年と確か中学の2・3年も一緒だったと思う。
小学5・6年生ぐらいの時は、一般に男子に比べ女子の方が大人っぽい。彼女の場合も、もちろんその当時から大人っぽかった。
中学校の時、友達なんかと夜に徘徊するのが流行ったのだけれど、彼女もそのメンバーだったこともある。
それでも彼女は頭がよかったので、ちゃんと国立の大学へも行った。先生になるのかなぁと思ったけど、その当時のことはよく分からない。
ただ、彼女から高校時代にコーヒーカップをもらった・・・と、思う。
思うというのは、ロッカーに入っていて、直接もらったわけでもなく手紙が入っていたわけでもない。カップの入った箱だったか袋だったかに彼女の苗字がカタカナで書いてあった。
そのときは彼女の名前だとは気付かなかったのが、後になってやっとそう読めたのだ。(汗)
もし会うことがあったら、彼女が作ったギムレットでも飲みながら、そのカップのことを直接彼女に確かめたいと思っている。
あぁ、電話で話した時、彼女の携帯の番号を聞いておけばよかった。失敗したな。


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2015年11月07日

この前、一関の夏祭りの時に思い出した。
中学生の時の夏祭りでのことだった。俺と俺にギターを教えてくれた友達と二人で七夕飾りの中をうろうろしていた時、後ろからせかされるように「助けてぇ」と救いを求めてきた中学の同級生の女の子が二人。ちょっとこわめのお兄さんにナンパされそうになって逃げてきたらしい。
その場所から一緒に走って逃げたから、彼女たちの後姿を見ていた。浴衣姿で今思えばずいぶん可愛かった。(笑)
彼女のことは幼稚園の時から知っていた。幼稚園バスで帰り道に彼女を親戚の家に降ろしていく。当時不思議だったのは朝の幼稚園バスにはいないのに、帰りには降りていく。よく考えたら、朝は直接幼稚園に送ってもらっていたか自宅の近くからバスに乗っていたんだなぁ。(笑)
小学生の彼女は知らない。一緒のクラスにはなったことが無いか、ひょっとして転校して一緒の小学校では無かったのかも知れない。
高校は別の高校なのだけれど、俺の彼女と仲が良かったので学校の帰りなんかに話しもしたことがあった。
その頃、彼女の家は何か商売をやっていてお金持ちだと知った。お母さんは「バスのラーメン屋」でずいぶんとお世話になった。
お母さんから結婚したと聞いたような気もするんだけど、それがいつごろのことだったか良く覚えていない。一関の人に嫁いだのか、遠方の人に嫁いだのかも聞きそびれてしまった。
今でもよく覚えているのは、あのお祭りの日の浴衣の後姿と笑顔がよく似合っていた高校の時の制服姿だ。


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2015年10月14日

しーちゃん、近所ではそう呼んでいた。
俺の2つ下の女の子で、お父さんが国鉄関係ということで、家の近くの国鉄関係の人達がなぜか多く住む一角に住んでいた。
幼稚園が一緒だったせいもあって、小学校に上がる頃までは良く一緒に遊んでいた。なぜか家の物置小屋の屋根の下で泥水のお味噌汁を作って遊んだままごとを覚えている。(笑)
彼女の家とは他の人の比較的広い畑を挟んで違う通りにあった。その畑も良く遊び場になった。
そんな頃しか記憶が無いのだが、俺が22、3才の頃に友達と一関で飲んでいたら、彼女も友達何人かと飲みに来ていた。何か言葉を交わしたが、俺と一緒にいた友達の妹同級生ということもあって、そのことを話したのを覚えている。
その後は何度か家の近くで、彼氏と話しをしているところを見かけたりしたが、俺の仕事も忙しくなって通常の人では考えられないような時間に帰るようになってからは一向に見かけなくなってしまった。(汗)
偶然と言うのは面白いもので、この「あの人・・・」に登場した俺の仙台時代の別会社の知り合いの学生の時の彼女だったり、俺の友達の奥さんだった人と仙台時代に同級生だったり。
世の中は思ったよりも狭い。(笑)
仙台当時のあだ名が「ビッケ」だと聞いて、アニメのキャラのような髪の毛を想像したら、妙にはまっているなぁと思ったのである。
とてもきれいな彼女であった。

さて、今はどうしているのだろう。


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2015年09月04日

中学の3年になった時だろうか、隣の中学校から転校してきた女の子だ。
妙に覚えている姿は、俺のいた中学校とは違うザックを背負って登校してきていたという事と、そのザックが丈夫そうで格好良くて羨ましかった事だ。(笑)
当時で言うマシュマロカットを少し延ばしたような髪型だったなぁと、今振り返るとザックを背負った姿が思い出される。
家庭の事情でみんなと一緒に卒業することなく、また違う中学へ転校して行った。クラスメートでお別れ会を開いたのだが、俺は友達のギターを弾いて何かをやった記憶がある。もちろん俺は音痴なので演奏だけで唄いはしなかったはずだけど。
その後、ひょんなことから高校を卒業して再び交流を持つことができた。今のようにメールも無い時代なので、手紙を何度かやり取りしていた。
最初は確か山形から、次は東京の狛江で看護学校に通っている時だったかな。その頃初めて「トランキライザー」という言葉を知った。精神安定剤の事なのだが、俺が精神的にずいぶんと辛い時期にだいぶ助けてもらった。
実際にあったのは友達がスタジオライブを開いた時に、来てくれた時の事。お互いに大人にはなっていたが、中学の時の面影そのままだった。
その後、俺は仙台に引っ越してきたが彼女の実家は仙台から近くの築館と言う所に移っていた。やはり家庭の事情だろう。
休みで実家に帰っているという連絡をもらったので、車を飛ばして築館まで来て連絡してみた。電話に出たのは弟さんであった。残念ながら留守をしていると事だったけど、彼女との約束は出来ていたので何か事情ができたのだろうと想像した。
それ以来、彼女とは連絡が取れないままになっている。看護婦(看護師)にはなったと思うのだが、その後に結婚したかどうかは分からない。友達に聞いてもその後の彼女の情報は何も入って来ないままだ。


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2015年08月14日

ちょっと垂れ目でそばかすが可愛い、一つ年上の女の子だった。
どういう経緯で2:10に加入してきたのか分からない。多分彼女が行きつけの喫茶店に常連でやってきていた、2:10のメンバーにでも誘われてそのまま加入したのだろう。
圧倒的に男が多かった2:10の中でアイドル的な存在になっていったのは、そう時間がかからなかったし雰囲気もあったからだろう。
2:10の中ではしばらく庶務というか雑用みたいな事をやっていたのだけれど、同級生を連れてきてフォークデュオを組んでライブにも出るようになった。ギターを弾いていたが前から弾けたのか、2:10に入ってから弾けるようになったのか分からない。お世辞にもあまり上手というほどではなかったけど。
メンバーは苗字で呼んでいたが、アニメのキャラクターの苗字とかぶっていたので、俺はみんなが冗談であだ名として、その苗字を呼んでるんだとばかり思った。そういう訳だから加入から1年ぐらいはそれが本当だとは知らず、当然苗字も知らないままだった。
彼女は高校を卒業して東京に就職したのがだ、就職先は知らない。けれど場所が保谷市だったので、それがレンズメーカーのHOYAは地名から来ているのだと初めて知った。(いや、そう勝手に思っただけで、本当かどうかはよく分かっていない。)俺も高校を卒業した後に保谷市まで電車で行ってみた。(笑)
ちなみに保谷市は合併して西東京市になったらしいが、俺は未確認だ。(汗)
彼女とは俺が20才の時に、たむろしていた店でばったり合った。化粧は上手になったようだが、どちらかと言うと化粧はしない方が可愛い気がした。
今はおそらく結婚したんだと思うのだが、どこの誰と結婚したかも分からないしどこに住んでるのかも分からない。


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2015年07月15日

同じ学校には通ったことはないけど、同級生である。
知り合ったのは20才ぐらいの時だったろうか、行きつけの喫茶店にやはり常連になっていた彼と来ていた。
その彼とは高校の同級生だったらしく、高校生の時から付き合っていたようだ。そして何年かしてその彼と結婚してしまうのだが、離婚したという話は聞かないので今も夫婦でいるのだろう。
彼は一見、今でいうイケメンなのでずいぶんとモテている。それは多分今も変らないだろう。付き合っていた頃から彼女の方もずいぶんと泣かされた。
まぁ、それは他人の俺がどうのと口ははさめないのだけれど、俺や俺の友達と「いい女に認定」した関係もあって釈然としない。
23か24ぐらいの時に海に行ってすっかり日焼けして真っ黒になった彼女と会った。すごくカッコイイのである。そこで俺と俺の友達とで「いい女と勝手に認定」してしまった。確かそのことは彼女には伝えていないはずである。
ちなみにその時に認定したいい女は二人いて、どちらもやっぱり日焼けした姿が格好良かった。(笑)
結婚した後、しばらくしてから子供ができて今は小学校に通っている頃だろう。何年か前にホームセンターに夫婦で買い物に来ている時にバッタリとあった。
取り敢えずは元気そうにやっているのでホッとした。
あっ、そういえば彼女に作ってもらったサーフボードのケース、代金を踏み倒してしまった・・・すまない。


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2015年06月12日

最近姿を見ないと思ったら、一関の元の場所に実家が無くなっていた。
一家で引っ越ししてしまったのかも知れない。(ちゃんと前の場所に実家はあった。この前確認してきたら表札も昔のままだった。)
そういうわけで、帰省しても一関には帰ってこないのだろうか。
彼といえば、中学の同窓会をきっかけに皆と飲むようになったのである。けれど付き合い始めれば2時、3時は当たり前でほとんど夜が明けるまで付き合う羽目になるのである。
彼にとっては年に何度かの帰省なのだから、昔の仲間と思いっきり羽目を外したいということなんだろう。しかし突き合わされるメンバーにとってはちょっと閉口してしまう。最後までまめに付き合っていたのは4、5人、多い時は15、16人いたんだけど。
彼とは小学校からの付き合いで、その昔はわんぱく坊主。ご両親は何度頭を下げて回ったのだろうと今更ながらに想像してしまう。小学校の友達はだいたい彼の被害者である。まぁ、いたずらっ子だったのである。高校に入っても無免許運転でどこぞのお宅の軒先を壊してしまったといって、俺が稼いだバイト代をそっくり貸したこともあった。もちろん後日、ちゃんと返してもらったのだけど。(笑)
そんな彼は高校の時に写真部に在籍していたらしい。そう言えば彼と堤防で写真を撮ったりしていたのを覚えているが、そのまま写真の道に入ってしまったのか。高校時代の彼の撮った農家の写真を今でも実家の壁に飾っているのは、やはりどこか感じ入るところがあるからなのだろう。俺のお気に入りの一枚である。
高校を卒業した後どこでどうまちがったのか、テレビカメラマンになっている。最後に会った時はフリーで仕事をしていると言っていた。扱うネタにより好みは無いのだろうが、その当時は政治とか社会物の絵を収録していると言っていた。
彼の帰省をネタにメンバーが集まって飲み会をするということが無くなってしまったが、また会える機会があるのなら、今度はゆっくりと大人の飲み会をしたいものである。


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2015年05月31日

小学校からの付き合いだった。中学生までは仲が良かった。
だいたい20歳ぐらいまではどんな感じで暮らしているのか、友達に聞けば風の噂のように流れて来た。
社会人になったら全然彼の情報がつかめなくなってしまった。誰に聞いてもどこにいるのかさえも分からないのである。
彼とは小学校3年の時に同じクラスになってからの付き合いだった。何をどうして遊んだのかは覚えていないけれど、良く彼と遊んでたと思う。馬が合うというのはあの事だろうな。
一度学校のグラウンドでふざけ合いをしていた時、彼の投げた消石灰(グラウンドにラインを引く時の白い粉)が目に入ったことがあった。目をはらせながら次の日に眼科に行ってホウ酸水で洗浄した事があった。ちなみにその日はピアノの日だったので眼科には行かなかった。
今どきであれば大問題になりそうな事だったけど、あまり気にも止めなかった。(汗)
中学校になった頃、彼も俺も自転車に夢中になって行った。彼はスピードを追求するロードレーサー、俺はのんびりとツーリングと言う具合だったけど、どちらにしても集まるのはいつもの自転車屋「あべ政サイクル」だった。(笑)
表の顔は自転車好きの中学生、裏の顔は深夜徘徊大好きなちょっと不良な中学生。。。(大汗)
彼も当然のように、この「あの人・・・」に何度か話しとして登場している深夜徘徊の主要メンバーである。
彼の部屋にはすぐに外に脱出できるような大きな窓があった。しかし特にそんな窓を使わなくても出入りは自由だった。(笑)
こっそりやるなんて似合わないと言う風に、堂々と玄関から出入りしていたのである。
そういえばホルストの「惑星」を初めて聴いたのは、彼の部屋だった。彼のお兄さんのYさんのレコードだったかも知れない。それに加えればマル・ウォルドロンの「Left Alone」を初めて聴いたのも彼の部屋だった。(笑)
彼は高校のクラブは吹奏楽と決めていたので、一緒に見学に行ってその日の内に二人ともホルンのマウスピースを加えていた。それは彼のお兄さんの影響だろう。そのクラブの先輩のコンダクターだった。
そんな彼がなぜか2年生ぐらいから変り始めた。いや、普通の高校生になったと言うべきなのだろうか。俺はその頃にはとっくに吹奏楽を止めて自分のバンドでベースを弾いていたから、どういう経過だったのかは知らない。
なんだか付き合いづらくなってしまったなぁと言うような印象であった。それも彼の生き方なのだから、俺からは否定はできないけれど。
高校を卒業してから、風の噂でどこかの大学のブラスバンドの指揮をしていると聞いたことがあった。やりたい事をやり通したということかも知れない。


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2015年04月29日

彼女は西多賀の病院に俺より数ヶ月後に隣の病室に入院して来た。
病名は俺と同じ大腿四頭筋短縮症。しかも俺と同じ一関の山目小学校。彼女の方が一つ年上だった。
その時俺は5年生の子供達が入っている病室、彼女は隣の6年生の病室である。
彼女の入っている病室には前から時々遊びに行っていたので、いつも普通に入って行ける。ただ彼女は出身と病名が同じということもあって、やっぱり他の子供達よりも親近感を覚えていた。
ただ、二人とも思春期の入りかけ、意識し過ぎてあまり楽しくおしゃべりをしたという記憶はない。
その後どっちが先に退院したのかはっきりしないのだが、順番からいっても俺の方だと思う。
どちらも退院して普通の小学生に戻ったわけだが、児童の多い小学校なので意識しないと彼女はどこにいるのかも分からなかった。それはお互いにそうだったろう。一度だけ学校で病院に入院していた時のことを話したのを覚えている。
低学年の頃から腐れ縁の同じクラスの友達に、彼女は近所に彼の近所に住んでいるということを教えてもらった。
俺が中学に入学した時は、当然ながら彼女は2年生になっている。
バスケット部に入り元気にボールを追い回している彼女を久しぶりに見た。俺は卓球部なので体育館の使用できる曜日がバスケ部とは違っている。そういうこともあって、彼女の姿を見る機会はあまり無くなってしまった。
そして彼女は中学校を卒業して高校へ。やがて彼女の記憶も俺の頭の片隅の方へ行ってしまった。
ただ、やっぱり俺と同じように手術の後が彼女の右足の大腿部にもあるのをはっきり覚えている。


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2015年01月22日

高校の時のバンドのドラムス担当だった彼だ。
高校入学決まった時、高校生活に付いて教えてもらおうと下宿していた先輩の部屋に遊びに行ったのが、転落人生の始まりだったと笑っていた。(笑)
実際に彼の高校生活はかなり支離滅裂的な3年間だったのではないだろうか。
先輩の部屋でまずタバコを教えられ勉強する意欲を削がれる。次に変な同級生に捕まりどんどんヤン系の友達が多くなる。おまけに俺達のバンドに加入させられ(強制的に?)ドラムセットを買わされる。
それでも彼は頭もよかったのだろう、何しろ彼の中学からはたったの3人しか一関の進学校には来なかったのである。ようは悪くても彼の中学校では3番ぐらいの成績だったと言う事だ。
そういうわけで人付き合いもかなり広範囲にわたり、色々な関係の所に人脈を作って行った。
俺もその彼のおかげで一生縁の無いよな人とも友達になることができたし、おもしろい高校生活を送ることができた。
あぁ、もちろん高校時代の成績はいいはずはない。2年生の2学期の成績は俺の後ろに4人、彼の後ろには3人というものだった。(汗)。
そんな彼でもなぜか東京六大学の一つに入学した。視力が良かったということと、前後左右の受験者に恵まれたと言うのがもっぱらの噂だったが、その真偽はわからない。
同窓会のときには目の前にいたのにもかかわらず、全然気付かなくて一生懸命に探してしまった。それぐらい高校のときとは風貌が違っていたのである。その時はテレビでも1度や2度はCMを見たことのある大手不動産屋に勤めていたから、きっとそういう風貌になっていたのであろう。
あの同窓会から結構な時間が過ぎてしまったけど、その後はまた行方知れずのままである。
きっとどこかであの頃のように、器用にたくましく生きているであろうことは想像に難しくない彼であった。(笑)


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2014年12月16日

そういえば彼女の名前を知らなかった。苗字しか知らなかった。
高校の時にバンド活動をやってた時に、同じサークルに所属していた1つ年上の女性である。
彼女は山崎ハコのような雰囲気をかもし出していて、自作の曲もハコの曲から大分影響を受けたみたいだった。
あるライブで俺のバンドに彼女をフューチャーして1曲だけやったことがある。彼女が書いた歌詞に俺が曲をつけたのである。
曲と言っても簡単なロックンロールである。「オレンジ・マーマレード」と言うタイトルの曲である。(笑)
実家はもう無くなってしまったが、平泉町の中尊寺の近くでドライブインを営んでいた。そして彼女には俺よりも2つ下の妹が俺と同じ高校に在籍していた。
平泉のお祭りになるとドライブインはすごく混雑するので、1度だけ駐車場整理のバイトを友達としたことがあった。お昼に出された賄いのカツ丼が、とても美味しかったのを思い出す。(笑)
俺が高校を卒業して一関を離れた後、彼女はどういう音楽活動をしていたのか知らない。所属していたサークルも空中分解に近い格好で消滅してしまったから、音楽活動をそのまま止めてしまったか、どこかへスライドして地道にやっていたかのどっちかだったろう。
けど、俺が久しぶりに彼女に会った時は、実家のドライブインの駐車場の片隅にカウンターとテーブル3つの喫茶店をやっていて、もう音楽はやっていないみたいだった。
仕事の関係で中々あの喫茶店には寄ってみる事もできなくなってしまったが、その後一度だけ行ってみる機会があった。彼女は相変わらず涼しい目をして微笑んでくれた。
あれから何年かして堤防用地になってしまい、ドライブインも喫茶店も姿を消してしまった。そして彼女との連絡も取れないままになってしまっている。


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2014年11月23日

 大昔付き合ってた彼女の友達である。
当時、今は一関と合併してしまった花泉という所に住んでる友達がどういうわけか多かった。直接の同級生だったり、友達のその友達だったりするのだが、駅前の割と狭い範囲で彼・彼女は住んでいた。
そんな思いもあって、先日その街の写真を撮りに行ってきた。実家もほとんど知っているので、高校時代の事なんかを思いながら写真を撮っていた。
彼女のことは唐突に思い出した。別の友達、高校の同級生の事を考えていたのだが、その友達の実家の何軒か先に彼女の家があった。中学からずっと付き合ってた彼女と友達で、高校の時に一度だけ遊びに行ったことがあった。はっきりと間取りとか部屋の様子とかを思いだしたのだけど、天井にアイドルのポスターが貼ってあったのはその当時の流行だったんだろうか。
遊びに行った日は赤いセーターを着ていたように思うのだが、その記憶は一緒に行った彼女の事と混同しているかもしれない。けれど、そのNの笑った口元には八重歯がのぞいていたことは間違い無い。それと目の回りにはちょっとそばかすもあった。
あれからずいぶんと時間が経ってしまったが、高校卒業するまでは何度か話すチャンスはあったはずだ。さすがにその会話までは覚えていないのが残念だ。
高校卒業後は就職したのか、上の学校に行ったのかも知らない。ひょっとしたら何年か経ってこっちに帰ってきているかもしれない。
同級生なので結構なおばさんになっていると思うのだが、それでも相変わらず笑顔と八重歯が可愛いおばさんであって欲しいなぁ。

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2014年10月20日

 地元沖縄での事です。
現在私は31歳になりました。あれは私が18才相手は19才
那覇市の国際通りで「映画館はどこにある?」と道を尋ねてきた人でした。
私の記憶だと3ヶ所あって、「どの映画が見たいの?」
その時、上映してたものがアダムズファミリーで、その映画館まで教えてあげようと思ったら「時間、俺にくれない?」「少し話せないかな」と言われ、喫茶店に入りいろいろ話しました。
今の私の記憶に残っている事は
  1.那覇空港で飛行機を誘導する仕事
  2.転勤?出張?沖縄に来る前に仕事上で事故(腹部に怪我)で休暇(休養)をとって那覇市を一人で。
  3.その会社の社宅?寮?住まいをしている。
  4.お互いに彼氏、彼女はいなかった事。
たーくさん話してすごく好印象でした。
その喫茶店でお互いの名前や出身地など教えあい「さすがに電話は無理だよね?」と・・笑顔でうなずいたんです。
その店を出て、さよならすると思ったら・・「お腹すいてない?」とステーキやさんへ即効・・・。
彼、私の手を引いて階段を上がっておしゃれな(ちょっと高級)店入っちゃったんです。
私お酒飲めない事も言えずに・・カクテルを注文。。。。
ナプキンをかけられ、私をリードしてくれた事が、すごく嬉しかったんです。
いろいろ話しているうちに心が動いてる事に気づきました。
食べ終えてカクテルは半分飲んで体が熱く火照っちゃって。。彼が会計済ませてくれて、階段を下りようとすると彼・・・私の腕を引っ張って階段の2個下に降りて「君可愛い!」と熱いキス。「好きになっちゃった!」
酔いが一瞬で覚めて階段を駆け下りて逃げようと・・・彼追いかけて「ごめん!でも本当だよ!ごめん」
それを振り切って帰ろうとすると「明日朝9時、君に声かけた場所で待ってる!ずっと待ってる!」
私、振り返ることなく帰ったんです。
でも、その言葉が気になって、翌朝11時にその場所へ行きました。
時間も遅れていたので、諦めながらもその場所に・・・彼はいなかった・・・。
「そうだよね、彼が待つ意味ないもんね、柱に寄りかかり反対側を見ると彼も柱に寄りかかって、同時に反対側(目の前に)彼が。。。いたの。
彼は笑顔で「来てくれたんだ??」私の手を握り「昨日はごめんなさい。」と頭を下げてくれたんです。
誠実な態度に心打たれて・・「今日も一緒にいてくれない?」の一言にうなずいちゃったんです。
また、お茶して、その彼に今日は人ごみは避けたいなぁと・・・タクシーを拾いどこだっけか・・・公園?っぽいと頃へ行きました。
人気のいないところで気づいた事が・・。
  1.彼と私の身長差が・・・約40センチ(苦笑)
  2.まともに顔を見れてなかったんです。福山雅治似でかっこいいと気づいた事
そこでは手をつないで歩いたの。時間が止まってるみたいで・・・居心地が良かった。。。。
また、タクシーに乗り国際通りへ・・・お互いに帰る時間・・。となると彼の握る手が強く。。。
タクシーを降りても手を握ったまま。。小さなビルに入ってエレベーターに乗り込み??
最上階へ・・・・何もない最上階で・・・。
熱いキスをしてきた。。。。
彼の体で私の抵抗する力は、意味もなく。。私は唇を噛んで「やめて・・・。」
彼は涙を流して「俺の事好きになれない?」
俺;「君が道案内してくれたときから・・しぐさや優しさに惚れた」
またキスしてきて・・お互いの物に触れ合おうと私の手を引っ張り彼のもの。
彼は私の・・・・触り始めた。。。
そのときに私涙して抵抗しなくなったの・・。彼は何を思ったのか・・・手を離し私から離れてエレベータを・・。
外に出て、お金を取り出し、タクシーを拾い私だけ乗せて「さよなら」と・・・・・・・・・・・・。
私一人乗りタクシーが動いた瞬間後ろを振り向くと・・・しゃがみ込んで泣いてる姿を最後に。
私も一人タクシーのなかで泣きじゃくった。。。

少女漫画のような出来事で・・・忘れらない人になってしまったのです。


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2014年09月30日

 高校の時に付き合ってた彼と結婚したのかなぁ。
彼女とはどういうわけか中学の頃から知り合いだったらしい。(謎)
小中学校とも別の学校だったのだが、全然知らない仲では無かった。俺の友達も結構知っていたから、ひょっとして小学校は一緒で転校して行ったのかも知れない。
高校に入ってからはいつも通っていた喫茶店に彼女の方も良く来ていたし、バンド仲間達と一緒に遊んだりもしていた。そんなに遠い存在では無かった。
後ろ姿がすごく可愛くて彼女の後ろを歩くのが好きだったけど、前から見てもすごく可愛い女の子だった。
あぁ、線は細かったけど肩幅は結構広かったような記憶がある。
彼女の高校の文化祭に遊びに行って、彼女と話しなんかをしていると、追っかけの連中がメンチを切りにきたりした。(笑)
彼女は俺が高校3年生の時に加わったバンドのファンだったらしくて、俺が加わる前から良くそのバンドの連中と一緒にいた。時にはスタジオに入って練習する時も、その中にいたりもした。
そんな流れで、ピアノを習っていた彼女はキーボードとしてバンドにちょうど良く収まってくれた。もちろんライブも一緒にした事もあった。

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2014年09月04日

 今ではきっといいお母さんになってるだろう。
彼女とは幼稚園と高校が一緒だった。幼稚園の頃は時々遊びに行った記憶がある。高校に入って久しぶりに会った彼女はとても笑顔の素敵な女性になっていた。
最後に会ったのはいつだったろう。思い出せないぐらいに昔かもしれない。覚えているのは学生時代に中央線西荻窪のホームで偶然会った時のことだ。高校を卒業して上京、やっと東京の風景にも慣れて来た頃。俺が頻繁に吉祥寺に通っていた頃だった。
取り立てて何を話したということはない。久しぶりだとか元気だとか、そんな普通のことだったと思う。けれど彼女はあの素敵な笑顔のままでいてくれた。
ひょっとして彼女はその当時、西荻窪とか高円寺あたりに住んでいたのかもしれない。今はどこに住んでいるのかも分からない。でもやっぱり笑顔の素敵な女性のままだろう。




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2014年08月06日

 彼女とは短い期間だったが、一緒に良く遊んだ幼なじみだった。
高校の1年の時、朝学校の玄関で「○○さんですよね?」と話しかけられた。俺はその○○さんだったので、「そうです」と答えたら、「Kです、覚えてますか?」と問いかけられた。そのときはちょっと考えながら懐かしそうな顔をしたのだが、俺の記憶の中に彼女は居なかったのだ。
それでもやっぱり女の子から話しかけられたというのが気になってあれこれと考えてみた。そしたらあることが思い当たったのだ。
小さい頃、多分小学校の1年とか2年生の頃に実家のすぐ近くの家の敷地にあった貸家に住んでいたことがあった。もうその貸家は無くなってしまっているが、当時は一緒に遊んだりしたから、今でもその貸家の家の中の事まではっきりと思い出した。
お父さんはおそらく学校の先生だったんだと記憶していて、3年生の頃には隣の小学校へ転向してしまった。
その後中学生になった時に学校対抗の野球対抗試合か何かで会って、短い時間だったけど会話を交わしたのだった。
そんなことを彼女は覚えていてくれたのだ。
高校時代にその彼女とは一度も同じクラスになることが無く、あまり話もしたことは無かった。
同窓会のときに久しぶりに会った彼女は、同級生同士で結婚して教師になっていた。そしてすばらしい夫婦になっていた。



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2014年06月30日

【あの人33】Y・Sさん
 小学校から高校までの同級生である。
小学校は5、6年、中学は2、3年が同じクラスだった。高校の時は同じクラスにはなったことが無い。
大学は青森の国立大学に行ったのだが、やっぱり彼女の親と同じく学校の先生を目指したのだろうか。
頭は良かったんだと思う。中学の頃はその年頃にありがちな夜遊びなんかもしていたのだが、それでも成績は下がることなくちゃんと大学へ進学した。俺とは大違いだ。(笑)
突然、彼女の夢を見た。高校生ぐらいの感じだったがお昼の弁当を向かい合って一緒に食べているのである。その顔がすごく明るくて何かを意味しているのだろうか。確かに夢の中のような笑顔を見たことがある。お弁当は一緒には食べたことは無いはずなのだが。
そういえば一度、高校1年の時だったが、俺の誕生日に赤いコーヒーカップをもらったことがあった。そのお返しはしていないのだが、そんなことは彼女は覚えていないだろうなぁ。
最後に会ったのは5年ぐらい前、同窓会的な飲み会をした時だったかなぁ。
今は秋田でバーのママをしているという。店の雰囲気は想像できる。いい雰囲気に包まれた店なのだろう。
できれば一度そのバーでバーボンをロックで飲みたいものである。


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2014年06月05日

 彼もまた専門の時の同級生である。
出身は青森県の浪岡という所、美味しいリンゴの産地である。
高校卒業と同時に入学して来たから年では俺より1つ下ということになる。
同じ東北出身と言うことから仲良くなったとかではなく、学生時代にはありがちな麻雀仲間と言うことである。
どこか訛りの抜けない話し口調には同じ東北人として親しみは感じていたのだが、青森出身と知ったのは話すようになってから大分後だったと思う。
彼の麻雀は何か変だ。セオリーとか定石とかは完全に無視したような打ち方。そんな打ち方に回りが翻弄されたのであろうか、彼は良く勝っていた。
勝負強いということもあったかも知れない。学校からの帰り道のパチンコ屋、麻雀をしない日はこちらに寄り道。あまり負けたのも見たことがなかった。
確か彼は池袋東口から少し南に歩いていった所にアパートを借りていたはずだ。酔っぱらって池袋駅から歩いて行った記憶がある。
彼は卒業と同時に市場の電算室に就職をすると言っていた。卒業した年の秋ごろにリンゴが送られて来たのが、彼との連絡の最後だった。俺は礼状を出したかなぁ。
お礼の電話を入れたのだけれど、あいにくと彼は不在だった。

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2014年05月13日

 同業他社の若手だったけど、なぜか彼と気が合った。
当時仙台にあった非破壊検査屋はそう多くなかったのだが、彼がいた会社は業界でも中堅の仙台支社だった。
その会社は俺が働いていた会社から5分ぐらいの所にあって、お互いに機材を貸し借りしたり手が空いていると出向という形で手伝いをしたりしていた。
在仙の検査屋はどれも規模が小さく従業員の数も少なかったので、そんな融通もきかせる事ができた。それに会社同士はライバルではあったが、いがみ合ったりはしていなかった。
彼と一緒に仕事をしたのは2回だった。どちらも俺がチーフでその現場の検査を仕切っていたが、どうしてもうちの会社だけでは人手が足りずに彼を今で言う短期レンタルしたのだった。
彼と言えば、俺よりも2つ下で仙台の経理系の専門学校を卒業していた。そして仙台から北に2,30km離れた実家から通勤していたのだった。どうも高校の時はそのあたりでヤンキーをやっていたらしく、バイクが好きな俺とも話しが合った。
二人で漫才みたいな事を話しながら仕事をしたのだったが、そんな面白い彼と仕事ができるのが結構楽しみでもあった。
現場のあき時間にお互いのプライベートな事を話し合ったりしていたが、話しを聞いていくうちに彼の専門学校の同級生に俺の友達の今では離婚してしまった奥さんがいたらしいのである。それともっとびっくりしたのは一関の実家の近くの女の子とも同級生だったという。しかもどうやらその子と付き合っていたらしいのだ。さすがにそんな偶然にびっくりした。
俺の働いていた会社も無くなってしまったが、彼の働いていた支社も建物ごと無くなってしまった。
どうしているのだろうか、彼の事だから面白おかしく、どこかの会社で働いているだろう。

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2014年04月16日

 もう今は無いスナックのマスターだった人である。
元々は今度一関と合併する千厩の出身だと言う事を聞いたことがある。
俺が高校のころには、これもまた無くなってしまった喫茶店でバイトをしていた。コンクリートのたたきにテーブルと切り株の椅子が置かれていた店では客のリクエストでアルバムを聴かせてもらえた。
その後、独立してこれまた無くなってしまった路地でカウンターだけのスナックを開いた。ここも味があって中々いい感じの店だったんだが。
俺が社会人になって一関に戻ってきた頃には地主町の飲み屋が入ったモール街に、満員になれば30人ぐらいは詰め込める程のスナックを開いていた。
その頃には結婚して女の子もいた。多分子供はその女の子だけだったと思う。ちなみに奥さんも娘さんも美人である。(笑)
俺が波乗りを始めるきっかけを作ってくれた店でありマスターであった。
あの店は何年続いたんだろう。その後、店は傾き奥さんの実家の八王子へ引っ越していって、ホテルマンになった。
彼もまたサーファーだったので、湘南方面へ波乗りに出かけていっていたらしい。お盆に帰省した時はボードを持ってきていて、いつも行くポイントで会う事ができた。薄もやの立ちこめた波の間から「おう、久しぶり」と声をかけられる。メガネを外した俺には誰だか分からないのだが、グーフィーで独特のテイクオフが彼の姿を思い出させてくれる。
俺の部署が変ってお盆に波乗りに行くことができなくなってからは、会う事も無くなってしまった。友達からも彼が海に来ていたという話しも聞かなくなってしまった。
もうこっちのポイントには現れないのかもしれない。ひょっとしたら陸に上がってしまったのかもしれない。「Small Town Talk」って、どういう意味なんだろう。


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2014年03月05日

 今思うとずいぶんとやんちゃな子供だったなぁ。
彼とは小中学校の同級生、高校は別の学校だった。
特別仲が良かったわけでも無いのだが、同窓会の時の事が印象に強く残っている。抽選で席順が決まり彼の隣りに座った。最初はお互いにぎこちなさを感じていて話もろくにできなかったのだけど、酒が入り時間が経つにつれてお互いの昔の事や現況を話すようになっていた。
中学生の彼は大分おとなしくなって、彼のいたずらや悪ふざけに付いての話題がでるようなことが無くなっていたのだが、小学生の時はしょっちゅう話題に上っていた。
ガキ大将ともちょっと違った、どちらかと言うとアウトロー的な悪がきでいたずらやケンカも激しかった。多分職員会議でも大分問題にされたのではないだろうか。(笑)
その彼がいい大人になって、風貌にどことなく昔のやんちゃさを残しつついい男になって同窓会に現れたのだから、昔の彼を知っている友達はみんな驚いたのはいうまでもないのだ。
それよりもびっくりしたのは、彼の職業である。彼は県内の養護学校の先生になっていた。あんなに先生や同級生を困らせた彼である。それが先生になっていたなんて。(笑)
年月とは恐いものである。彼や先生になった同級生と話していくと、やはり話題は教育現場へと進んでいった。その話しぶりにはもはや、昔の悪ガキのイメージは消えていた。彼もずいぶんと大人になっていたのだなぁ。
今でも県内の養護学校の教壇に立っていることだろう。


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2014年02月13日

(投稿作品)
 彼に出会ったのはある本屋で立ち読みしていた時だった。
文通希望の欄に彼のプロフィールと住所名前が載っていたのを偶然見たことが初めだった。
本は買わずにそこだけメモして、帰宅後に手紙を書いてみた。
数日後、彼から手紙が来て、私たちの文通は始まった。
彼は一関商工卒の青年だった。私はまだ高校生。
同じ県内はいえ随分遠くに感じた。

フォークソングを作っていて、彼からのテープが来るのが楽しみになった。
私もバンドやっていたので、お互いが自分のテープを交換しあった。
いろんな思い出がたくさんある。

彼の書いた詩はまだ持っている。
今はどうしているのだろうか?きっと可愛いお嫁さんとお子さんで暮らしているのだろう。

待ち吹く風
長めの黒髪 風になびかせ 微笑んで見せる君
少女の黒髪 やけにもどかしく
風に羽ばたいて見せる君
大空を飛びたい 風にのって 君の街まで雲にのって
安らぐ心があるのならば 笑顔を1つ分けておくれ
待ち吹く風は 心地よいけど
君の心まで連れ去っていくよ
そら吹く風は 心地よいから
今 風になって君を連れて行きたい・・・・

あれからもう25年たっている・・・


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2014年01月16日

 近所に住んでいた幼なじみである。
本当に小さい頃からよく一緒に遊んでいた。まだ小学校に入る前からの付き合いであった。
近所には同級生が俺のほかに3人がいたが、特に彼とは民区が一緒という事もあって仲が良かったのである。
友達が集まっての草野球や缶蹴り鬼ごっこ、川遊びや山での探検ごっこ。遊ぶ時はほとんど一緒だったような気がする。
中学の2年まではそんな感じだったのだが、3年になった頃からお互いの仲間で遊ぶ事が多くなったせいか、彼との仲も段々と希薄になっていった。
工業系の高校に進学し、卒業と同時に首都圏の方に就職したと聞いたが、その辺りから会う事も無くなってしまった。
盆・正月の休みには実家の方へ帰ってきているのだろうか。
今ではきっとどこかで、いい旦那さん、いい父親になっているのだろう。


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2013年12月30日

 専門の時の同級生である。
名前が漢字はちょっと違ったが俺と同じである。
入学してすぐに同じクラスの女の子と付き合うようになって、授業中はいつも二人で並んで座っていた。さすが東京もんと思ったものだ。(笑)
その当時、彼は新宿の戸山ハイツに住んでいて友達と麻雀をしに一度だけ行ったことがあった。もっとも彼とはよく麻雀をしていたので、彼の家とは言わず色々と遊び歩いたりした。
そういえば彼とは同じ自動車学校に通って免許を取った。京浜東北線の荒川鉄橋の下あたりにコースを持っている不動産屋さん系の自動車学校なのである。河川敷にコースがあったために、大雨が降って増水すると休校ということもあった。俺の方が少しだけ早く卒研を受けて卒業したのだが、車を持ったのは彼の方が早かった。(笑)
専門は2年間だったが、彼は2年生になってすぐ・・・5月にやめて行った。都の水道局に補欠で合格していたのだが、欠員が出たので公務員になることにした。「どうしたら言いいだろう」と聞かれて、「専門卒業しても・・・公務員になった方がいいんじゃないの?」と答えたが、それがよかったのかどうか・・・。
やめて行った秋に車を買ったらしく、それに乗って学校にやって来た。もちろん友達何人かと都内をドライブしたのだが、男だけと言うのがなんとも寂しい。(笑)
彼と最後に会ったのは、卒業式の日、謝恩会の後の仲間同士での2次会である。在学中は彼も含めて仲間何人かとはよく飲みに行っていたのだから、2次会には彼も呼ぼうと言う事になっていた。場所はよく通った池袋のドラムという、その当時でいうコンパだったが、今は当然その店は無くなっているだろう。
今でもちゃんと都の職員として働いているのだろうか。


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2013年12月13日

 その彼女はある小さな駅前にあるコンビニでバイトをしていた。
彼女の名前は知らない、いやかなり昔のことなので覚えていない。確か一度聞いたことがあるはずだけど。
波乗りを始めた頃は、日の出とともに海に入り夕方になると帰ってくるというパターンだった。その帰り道にちょっと寄り道をすると、そのコンビニはあった。いつも何人かでそのコンビニに寄って空腹を満たしてから一関に向かうと言う感じだったが、もちろん彼女の顔を見るために寄り道をしていた。いつも行くメンバーのアイドル的な存在だったが、逢えるのはそのコンビニだけだった。
よく寄り道をしていたのは、波乗りを始めて2年ぐらい経った頃だったと記憶している。けれど3年目にはその彼女はいなくなっていたので、それ以来そのコンビニには寄ることも無くなってしまった。たった1シーズンの話しである。
確か年齢は俺達よりもいくつか下で、で高校生だったのか卒業していたのかまでははっきりしない。あまり大はしゃぎをするような感じの女の子ではなかったが、時々俺達に話しに加わって笑っていた。何となく華奢だってけれども、身長はその当時で言えば小さい方ではなかった。白いスカートとTシャツ姿が妙に印象に残っている。
あのシーズンから大分経ってしまったから、俺の記憶もずいぶんとぼやけている。


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2013年11月27日

 中学の2、3年に同じクラスになった小学校の時からの同級生である。
彼は子供の頃に脳性麻痺を患ったことがあるらしく、少し聞き取りづらい程度の言語障害と軽い右半身の麻痺を持っていた。
それゆえにその時のクラスの皆は彼から大切な事を教えられた。皆は言語障害や半身麻痺は多少訛りが強いとか多少歩き方に癖がある程度にしか感じていなかったのではないか。少なくても、ありがちな差別的な意識で彼と接していたという連中はクラスの中にはいなかった。
彼はよく皆とお昼休みに野球やドッジボールをした。それはお世辞にもうまいとは言えないのだけど、彼は彼なりに楽しんでやっていたし、皆も多少は手を抜きながらも面白くやっていた。
けどこれには困ったことが(本当は彼とのクラスの皆との間柄を一層深くする要因なのだが・・・)あった。それはお昼休みに思い切り体を動かすと、必ずと言っていいほどに午後の授業中に痙攣を起こして倒れてしまうのである。時には口から泡を吹いて、時には失禁してしまうほどの痙攣である。
最初にそれが起きた時は何事が起こったのか当惑してしまっけれど、何度か経験するうちに段々とルールが出来上がってしまった。彼が昼時間に思い切り暴れて遊んだ時は、午後の授業が始まったらいつ彼が倒れても大丈夫なように回りのものは心の準備をしておくのである。
そして自然とそれぞれ担当が決まっていった。後ろの席のものは彼が床に頭をぶつけないように受け止め、保健室の先生を呼びに行くもの、雑巾で汚れた床を拭くもの、舌を噛まないように口にタオルを入れるもの・・・。
同窓会の時に彼に近況を聞いたら、仙台で印刷屋に勤めているという。まだその印刷屋が順調に経営を続けているのなら、きっと彼も元気で冗談を言いながら仕事をしているだろう。


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2013年10月31日

 言ってみれば俺の仕事の師匠である。
今の会社には元々製版部門の採用であった。製版というのは印刷の前工程で細かい手作業と先を見越す力、計画性が要求される部門である。
確かに彼はあまりマメに仕事をしたという印象はなかったし、上からもそう言う具合に思われていたかもしれない。しかし難度が高く高度な技術を要求されるような仕事が入ってくると、それまでのグウタラした感じから一変してその難しいと思われる仕事をやりこなしてしまう。
まるでスーパーマンの様な具合である。(笑)
俺なんかどうやっていいのか途方に暮れるような仕事でも、彼には仕上がりが見えていたようだし、その手順までも頭の中に描いていたようだった。
腕にはそれ相応の自信を持っていたし、回りもそう言う目で見ていた。事実、それだけの仕事もしてきたのである。
彼が会社を辞めてからずいぶんと経ってしまった。その後一度もあう機会は無いままである。
辞める経緯の詳しいことは知らないが、あまりいい形ではなく辞めていったということは耳に入ってきた。
今は噂ではトラックの運転手をしているとか、大きめのバスのレンタカーの運転手をしているとか。


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2013年10月21日

 専門学校の時の同級生である。
彼女は福岡出身で歳は俺より一つ下だったはずだ。
いつも微笑んでいるという印象があって、あまりはしゃいでいるという場面は見たことがなかった。無口というのではないけれど、いつも物静かに席に座っているという感じだろうか。
彼女はいつも新潟出身のYさんと一緒にいた。なぜか二人は気が合ったのだろう。1年のときだけ入れる学生寮に二人とも入っていたので、よけいに時間を共有することが多かったのかもしれない。
俺は彼女たちが入っていた寮のある駅の次の駅にアパートを借りていたのだけれども、電車の中で知っている顔を見ることは無かったが、一度だけ学校の帰りに彼女と会ったことがあった。みんながそうするように俺も何となく窓の外を見ていたら、俺を呼ぶ声がしたのでその方を見ると彼女がやっぱり微笑んでいた。まだそんなに遅い時間、寮の門限という時間じゃなかったから彼女を誘ってお茶でも飲んだら良かったなぁと思ったのは、ついさっきのことである。
クラスの中には仲良し同士のいくつかのグループが出来ていたが、彼女はいつもクラスの中心的存在のグループの中にいた。もっともクラスの数少ない女の子達は例外なくそのグループにいたのだが。そんな訳で彼女と飲みに行ったとかデートしたということは無かった。そういえばそのグループの中に彼氏ができたのは2年生になってからだっただろうか。
彼女は大手機械メーカーの電算室に就職が決まっていることを卒業間際に知ったのだが、真面目にコツコツと勉強したんだと感心した。もうそこで働いているとは思えないが幸せな結婚ができただろうか・・・・。


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2013年10月13日

 もう、15年も前の話になります。
当時、大学生だった私は、友達3人と夏休みに沖縄に旅行に行きました。そこに、夏の間リゾートバイトに来ていたのが彼でした。どうせ、ナンパ目的の軽い奴だと勝手に決め付けていたのですが、彼は幾度となく私たちを助けてくれました。
それも、とてもさりげなく・・・。今思うと、いつもわたしの隣に座っていてくれた気がします。
夏休みも終わり東京へと戻った彼と、遠距離ながら付き合い始めました。よく、親に嘘をついて彼に会いに行ったなあ・・・。
でも、あの頃のお子様の私には、彼に余りにも惹かれすぎる自分が怖くて、怖くて、心にもないことを言ったりしたりして、彼に嫌われてしまいました。
好きで好きでたまらないのに、うらはらなことをして自分でも何が何だか訳がわからず、そんな私を彼は突き放すようになりました。で、自然消滅・・・。
親に猛烈に彼との交際を反対されたり、会いたいのにすぐに会えないというジレンマ。散々、彼に不愉快な思いをさせました。
あれから、彼の事は封印してきました。彼とは出会わなかったと思わんばかりに、振り切って生きてきました。15年経って、その間いろんな人と出会いましたが彼以上に惹かれる人はいませんでした。
あの若かった頃に、衝撃を覚えたあなたとの出会いは、やはり特別な物だったのだと改めて痛感しました。
今どうしているのかなあ…。あなたのことだから、しっかり生きているんでしょうね。
私も、大人になりました。あの時は、本当にごめんなさい。何の言い訳にもならない
けど、あなたのことが好きすぎて、怖かったんです。会うたびに惹かれて、たまらなく好きで、でも一緒にいれなくて、色々不安で不安で。早く壊したかったんです。
あなたがしてくれたいろいろな事、忘れていません。忘れられません。あなたは、やっぱり、私の生涯一の人だったんです。
本当に、ごめんなさい。どこにいるのか、何をしているのか全然わからないけど、あなたがこの日本のどこかで幸せに暮らしていることをただ願っています。
あの時は、ありがとう。そして、ごめんなさい。


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2013年10月02日

 仕事をしている時に、フッと思い出した彼女。
俺よりも2つ年下で中学と高校は同じ学校。中学の時はクラブも一緒だった。卓球部なのだけど。
初めて彼女が卓球をしているのを見た時、まだ1年生だったのだけれど他の女の子達、先輩の女の子達よりずっとうまいと思った。それが初めての印象。きっと運動神経が良かったんだと思う。
時々学校の廊下ではすれ違うことがあったし、何度も話しをした事もある。とてもかわいい子だった。
でも、高校の時の彼女のことはほとんど覚えていない。俺には他に夢中になっていた事があったから。
一度だけ俺の友達が俺の家に連れてきたことがあった。その時はその友達の彼女になっていた。けれどその日の二人が何となく自虐的な感じだったので、彼女を送らせて帰ってもらった。ちょっと寒くなった雨の日だった。
それから何年が過ぎただろう・・・、時々行く仙台のスキーや山用品のショップに買い物をしに行った時、彼女がそこでバイトをしていた。
胸にネームプレートをしていたが、苗字は違っていたから結婚をしていたんだと思う。
俺はひと目で彼女だと分かり、彼女の方も俺のことを覚えていてくれたのが嬉しかった。
高校の時から年月を重ね彼女はすごくきれいになっていた。またそれがとても嬉しかった。


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2013年09月23日

 偶然行きつけのパン屋で会った。たしか、一つ年下だったはずだ。
彼女は同じ中学だったが名前は知らない。通った高校は違っていると思う。
会ったのは何年振りになるのだろうか。
多分娘であろう中学生の女の子とパンを選んでいた。見た瞬間に俺は彼女だと分かったが、一度も話しをしたことが無いので、言葉はかけられず何となく様子をうかがっていただけだった。
それなりに年は取っていたが、きれいで幸せそうな年の取り方をしていると感じた。
店の中では娘が「このパンを買っていい?」と聞いていたのだろうか、それに答えて静かにうなずいていた。あれこれと注文を付ける様子も無かった。なんだかあの中学生の頃と変らずにいるようだった。
そういえば当時少し癖っ毛だったのだが、やっぱり今でも軽くウェーブがかかり少しは長くしている程度にしか髪型も変っていなかった。あまりにもあの頃のままだったので、それが逆に新鮮だった。
中学の時、彼女の仲良しグループは結構目立っていて、そのグループとは何度も話しをしたとことがあるのだが、彼女はいつもそのグループのちょっと後ろの方から微笑んでいるだけなので、ついに彼女とは話しをしなかったのである。
きっと彼女は俺の事は覚えてはいないだろうなぁ。



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2013年09月14日

 仙台の国立療養所西多賀病院に入院していた時に6下8号の同室で一番仲良かった。
彼はペルテスという病気で股関節の骨に問題があった。その病院はペルテスの子供達もも多く入院していたが、彼もその中の一人であった。
タイプで言えば遊ぶ時には先頭を切って走っていくという感じと言えば想像できるであろうか。
病院からは歩いてはいけないと言われていたにもかかわらず、時々いたずらで歩いたりもしていた。またそれが妙におかしくて回りからは受けていた。もちろん彼もその受け狙いで歩いたりしていたのだが・・・。(笑)
小学校の5年生という年ごろだと、あまり意見の対立ということは無いと思うのだが、それでもあの病室のみんなはよくまとまっていたんじゃないかなぁ。彼もまとめ役の一人だったが。
ちゃんと完治することができたのだろうか、ただでさえペルテスの治療には長い時間がかかると聞いている。彼も1年はその病院にいたはずである。同室には3年も入院しているという子供さえいたので、1年はまだほんの駆け出しというところだったろう。
その後、仙台市内の工業高校に進んだと聞いたが、今はどこでどんな仕事をしているのか。


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2013年09月06日

 中学の時の同級生である。
確か1年の時は同じクラスだったと思うのだが、2年生からは別々で高校も違う学校に通っていた。
同級生でしかも中1は同じクラスなのだから特に仲が良かったという訳でもなでくても当然話しはしたことがあるし、一緒に遊んだこともある。
それでも中学を卒業して以来、会う事も滅多に無く彼女のことは忘れかけていたのだが、仙台に就職してから地元に残っていた連中や仙台に来ていた連中と皆で一度飲もうということになった時、その彼女も集まった。
日頃から交流のあった連中はどんな風になったか知っていたけれど、その彼女と会うのは本当に久しぶりだったので想像もできなかった。あるホテルのロビーで待ち合わせということになって時間より少しだけ早く着いて皆を待っていたが、その彼女は他の連中よりもちょっと遅れてホテルの玄関から入って来た。
見た瞬間に彼女だと分かったが、思い描いていた女性とは少し違ってすごくきれいになっていた。ひょっとしてそれは、白いコットンのワンピースとかかとの低いパンプスにごまかされたのかもしれない。
その時彼女は幼稚園の先生をしていた事、弟とアパートに住んでいる事、それまでに何度か恋に破れ辛い思いをした事なんかをお酒が進むにつれ徐々に話してくれた。
彼女に会ったのはそれ一度限りだったが、友達から聞いた話によると、素敵な彼ができて結婚したという。
今は素敵なお母さんになっているのだろうか。

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2013年08月24日

 いつもギターを持って大人の病棟から遊びに来ていたお姉さんだ。
小学校5年生の時に仙台のベットスクールに入院していたのだが、時々他の病棟から色んな人が遊びに来ていた。
その内の一人だったが、覚えているのは彼女が髪を長くしていて少し丸顔、スカートをはいていたということだった。多分20歳をいくつか過ぎていたと思うのだが、11歳の俺にとってはすごくお姉さんに思えた。
持ってきたギターで童謡なんかの皆が良く知っている歌を弾いて歌ってくれて、すごく人気があった。
彼女はなんの病気でどのぐらい入院していたのか、また俺が退院した時もまだ病院にいたのかは知らない。
そして、彼女が遊びに来てくれたのは2回しか知らないのだけれど。
ずっと長い事、記憶の底に埋もれていたのだが、平井堅が歌ってヒットさせた「大きな古時計」を聞いた時に、彼女の姿が鮮やかによみがえってきた。


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2013年08月15日

 小学校4年生のときに同じクラスだった女の子だ。
彼女のお父さんは全国的な運送会社で働いていた関係もあって、小学校4年になる時に山形のほうから転校してきた。そして小学校5年に上がる時に、またどこかへ転校して行った。
学校からの帰り道は途中まで一緒ということもあって、よく一緒に遊んだり彼女が住んでいた社宅にお邪魔したりしたことがある。
友達からはその後の彼女の話しを聞いたことがないので、ひょっとしたら記憶の中から消えてしまっているのかもしれないが、俺は当時彼女が好きだったので今でも記憶に残っている。
彼女は活発で男の子たちともよく遊んでいたし、運動だって得意な方だった。そしてよく大きな声で笑っている子だったなぁ。
多分小さい時は転校で色々学校を移ったと思うのだが、彼女なら転校先でいっぱい仲のいい友達を作れたんじゃないのかな。
今では病院の駐車場になってしまったが、そこを通るたびに彼女がそこに住んでいたのだなぁと思い出す。

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2013年08月05日

 彼は俺よりも3つ年上で、高専生だった。
一関にあった音楽サークルの中心的存在で、とても個性的な人だ。そのサークルは2:10という音楽好きの高校生が参加していたが、俺も1年生の時から仲間たちと参加していた。ちなみにこのサークルからは「NSP」というプロのフォークグループも生まれた。
この2:10という名前は、土曜日の午後2:10からミーティングが始まるということに由来している。そんなサークルに毎週顔を出すのが、他に楽しみも見いだせないでいた俺は大変好きだった。
2:10にはとても個性が強くて面白い人たちも多かったが、彼はひときは目立った存在だった。しかしサークルをぐんぐんと引っ張っていくというタイプではなく、自分の好きなことをしているという感じ。そしてリーダーをサイドから支えているとう感じであった。そして、サークルの宴会部長でもあった。
ディープ・パープルのコピーを中心にハードロック系のバンドでドラムを叩いていた。特に力強くて切れのいいスネアの音が印象的だった。
すでに車の免許を持ち、おんぼろの車を運転していた。
頭にはパーマがかかっており、歩くたびにその髪の毛がふわふわと動いていたのを覚えている。
いろいろな意味で俺にとっては、とても大人に思えたのだ。
高専は5年間の履修だが、彼は6年在籍してるという話しを聞いたことがあるがその真相は定かではない。
しかしちゃんと卒業して彼の地元の電気系の技術屋になったという話しは、彼が卒業してしばらくしてから聞いた。
その後、2年ぶりに偶然に行きつけの店で彼と会ったが、あの頃のパーマは取れていてワイシャツとネクタイという想像もできなかった姿だった。(笑)

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2013年08月01日

 山の手線で電車内で出会ったおばあちゃんとその孫の女の子である。
その日俺は吉祥寺に住む友達の所へ遊びに行くために、京浜東北線・赤羽線を経由して池袋から新宿へ山の手線に乗っていた。車内は平日の午後ということもあってさほど混雑はしていず、ゆったりとつり革につかまりながら外の景色を眺めていた。
高田馬場を過ぎたあたりで、目の前に座っている女の子が俺を見ながらクスクスと笑っているのに気がついた。「どうしたの?」と聞いてみると、「着ているものが変だ」ということらしい。着ているものというより着方が変だというのだ。
その当時、トレーナーを裏返しに着るのが流行ったことがあったのだが、俺もそのようにオフホワイトのトレーナーを裏返しに着ていた。
そんな事から話が始まり、その女の子は小学4年生でその日は新宿のおばあちゃんの家に泊りに行くのだという。横に座っていたのがそのおばあちゃん、眼鏡の奥で目が笑っている、とても優しそうなおばあちゃんだった。
俺は新宿から中央線に乗り換え、おばあちゃんと女の子は新宿で電車を降りた。
2、3日吉祥寺の友達のところで遊んだ後、また蕨のアパートに戻るために新宿で中央線から山の手線に乗り換えた。
なにげなく車内のつり革につかまろうとした時、「こんにちは」という女の子の声。
その声に気がつくと、またあのおばちゃんと女の子の前に立っていた。
あの大都会、東京・新宿でまたも同じ組み合わせ。こんな偶然があるのだろうか。俺はなんだか嬉しくなってしまった。
前とちょっと違うのは、俺がトレーナーではなくポロシャツの上にジャンバーを羽織っていたことだった。


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2013年07月25日

 あの道しか選ぶことができなかったのか・・・。
彼のうわさは別の学校だったにもかかわらず、中学のころから聞こえてきた。同じ学年なのだが、すごくギターがうまいらしい。高校も別々だったが彼のギターに関する噂はますます大きくなっていた。当然彼も仲間を集めてバンドを組んでいた。
彼のライブを何回か見る機会があったが、確かに速かった。指の動きがものすごく速かった。
彼とは高校3年生の夏祭りの時に一度だけライブを一緒にやった。
その時には学校をサボって彼の家で遊ぶぐらいの仲になっていた。俺の通っていた高校の近くにあったから、ちょっとサボって遊ぶには都合が良かったのだ。
しかし知らせは突然やってきた。
俺とバンドを組んでいたやつが、授業中にもかかわらず廊下から壁越しに教えてくれた。
その授業が終わるのを待って彼の家に行ってみた。そこには彼の同級生が何人か集まっていた。
彼にかける言葉が無かった。ただ彼の使っていたギターから音を出してみただけだった。
あの人は今・・・安らかに眠っているだろうか?

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2013年07月18日

 市内にある県立高校の受験の日、彼女は俺の隣の机に座っていた。
彼女は俺とは違う中学校から受験に来ていたのだけど、なんとなくちょっかいを出してみたくなり、話し掛けて見た。何を話し掛けたのかは覚えていないけど、多分出身中学校のことを聞いたんだと思う。
その受験から1ヶ月ほどで高校生活がスタートしたのだが、偶然にも彼女は俺の前の席に座っていた。本当のことを言えば、俺は彼女に声をかけたことすら忘れていたのだが、彼女の方は覚えていて、そのことを笑いながら話してくれた。
彼女は背中の真中ぐらいまである髪の毛を一本の三つ編みにしていた。俺は後ろの席からそれを面白がって引っ張ったりして遊んでいた。妙にそのことが懐かしい。
同じクラスだったのは1年生の時だけで、その後一緒のクラスになることはなかった。
高校を卒業して1年か2年過ぎた時に、友だちがやってるバンドのライブがあったのだが、そのライブは高校の同窓会みたいな感じで、お客のほとんどは同じ高校の出身者だった。
そのライブに彼女は友だちと来ていた。
ちょっとだけ話しをしたのだが、思わずビックリするぐらいにきれいになっていた。
トレードマークだった三つ編みの髪の毛は、肩ぐらいの長さになっていて、軽くパーマがかかっていた。
その後の彼女のことは知らないが、大学が教育学部だったから学校の先生になったのかもしれない。

2010年6月のある日、同級生からメールが来た。
彼女の訃報を伝えるメールだった。
どうして亡くなったのかは分からないが、ご主人から同窓会の案内に載っていた別の同級生のアドレスへ、葬儀まで済ませているというメールが来たという。
あまりに早い彼女の死。
ご冥福をお祈りします。
合掌。。。



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2013年07月13日

 彼女は左目の下に涙を流したような跡がある、小さくてかわいい女の子だった。
彼女は俺の中では小学校4年生のときだけ同じクラスだったという記憶しかない。いや、その4年生のときだけ同じ小学校に在籍していたという記憶しかない。
妙にやせっぽっちで華奢、そして小柄だった。クラスごとに男女別れて整列すると、彼女は一番前で俺は二番目がレギュラーポジションだったから、そのことだけはよく覚えている。
彼女のことをここに書こうと思ったら、その他のことの記憶が無いのに気づいた。
みんなでよく一緒に遊んだはずなのに。
4年生が終わると彼女はお父さんの転勤で県北の小学校へ転向していった。


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2013年07月08日

 中学の時の同級生である。
彼は家の事情で中学3年生のときに転校してきて、俺の家から割と近くに下宿していた。 元々は小学校も同じだったというが多分同じクラスになったことは無かったので、小学生時代の彼のことは知らない。
中学生で下宿生活というのは俺達からすれば、ずいぶんと珍しく素敵(笑)な生活に思えた。
で、当然のごとく彼の部屋は溜まり場になったのだが、その下宿の大家という人は尊大というべきか無関心というべきか、飛び切りうるさくしない限りは入り浸っていても注意もしてこなかった。(笑)
中学の3年の時は話が合うことも多くよく遊んだのだったが、高校に入ってからは彼は家族と一緒に暮らすことになったということもあり、4月に一度だけ泊まりに行って遊んだというぐらいだった。
そうこうしているうちに、彼は彼のペースで回りに友達もでき始めたり、俺は俺のほうでバンド活動に熱中して行ったりして、ぱったりと交流が途絶えてしまった。
その後、俺も高校を卒業して蕨市で暮らすようにり、彼のことを思い出すことも無くなったのだが、ある日突然彼から電話がきた。
その時東京に出てきて暮らしているらしく、会わないかとの誘いだったのだが都合が悪かったので、また後で会おうという約束をしたのだったが・・・。
それから何年過ぎたただろうか、彼から電話がくることは無かった。
友達の噂で陶芸の道に入ったということは聞いたのだが、誰に聞いてもそれが本当のことなのか、その道で飯を食っているのか・・・、それとも別の道を見つけたのか全然分からないままになっている。


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2013年07月04日

 俺が中学生のときに一関にあった3人組のアマチュアのバンドだ。
あれからずいぶんと年数が経ったから存在はしないだろう、いやメンバーも散り散りになっているかもしれない。
当時あちこちで小さなコンサートがあったのだが、そのコンサートによく出演していた。
バンドの構成は当時メジャーだった「シグナル」というグループと同じように生ギター2人とエレキベースというものだった。
コンサートではいくつものバンドが少ない持ち時間で出演していたので、当然彼らも数曲しか演奏はできなかったのである。
そんな彼だったが、曲と曲の間合い、しゃべりが面白くオリジナルの曲もしっかりしていたので、結構固定的なファンはいたようだ。
成り行きはよく覚えていないのだが、なぜか彼らと交流が始まり、俺が高校に入り本格的(?)にバンド活動をはじめたころに、彼らがいつもラストで演奏していた曲をプレゼントしてくれた。
その後、社会人と高校生だったということや音楽の方向性の違いなどから自然と疎遠になってしまい、高校を卒業するころには彼らのコンサートに出かけることも無くなってしまった。
そして俺が成人して一関に戻ってきたころには、彼らの所属してた団体そのものが無くなってしまっていた。

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とりす
なかなか納得できる一枚が撮れなくて四苦八苦してるけど、撮りためた写真をブログでもアップ。


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