★あの人は今・・・

2013年10月13日

 もう、15年も前の話になります。
当時、大学生だった私は、友達3人と夏休みに沖縄に旅行に行きました。そこに、夏の間リゾートバイトに来ていたのが彼でした。どうせ、ナンパ目的の軽い奴だと勝手に決め付けていたのですが、彼は幾度となく私たちを助けてくれました。
それも、とてもさりげなく・・・。今思うと、いつもわたしの隣に座っていてくれた気がします。
夏休みも終わり東京へと戻った彼と、遠距離ながら付き合い始めました。よく、親に嘘をついて彼に会いに行ったなあ・・・。
でも、あの頃のお子様の私には、彼に余りにも惹かれすぎる自分が怖くて、怖くて、心にもないことを言ったりしたりして、彼に嫌われてしまいました。
好きで好きでたまらないのに、うらはらなことをして自分でも何が何だか訳がわからず、そんな私を彼は突き放すようになりました。で、自然消滅・・・。
親に猛烈に彼との交際を反対されたり、会いたいのにすぐに会えないというジレンマ。散々、彼に不愉快な思いをさせました。
あれから、彼の事は封印してきました。彼とは出会わなかったと思わんばかりに、振り切って生きてきました。15年経って、その間いろんな人と出会いましたが彼以上に惹かれる人はいませんでした。
あの若かった頃に、衝撃を覚えたあなたとの出会いは、やはり特別な物だったのだと改めて痛感しました。
今どうしているのかなあ…。あなたのことだから、しっかり生きているんでしょうね。
私も、大人になりました。あの時は、本当にごめんなさい。何の言い訳にもならない
けど、あなたのことが好きすぎて、怖かったんです。会うたびに惹かれて、たまらなく好きで、でも一緒にいれなくて、色々不安で不安で。早く壊したかったんです。
あなたがしてくれたいろいろな事、忘れていません。忘れられません。あなたは、やっぱり、私の生涯一の人だったんです。
本当に、ごめんなさい。どこにいるのか、何をしているのか全然わからないけど、あなたがこの日本のどこかで幸せに暮らしていることをただ願っています。
あの時は、ありがとう。そして、ごめんなさい。


2013年10月02日

 仕事をしている時に、フッと思い出した彼女。
俺よりも2つ年下で中学と高校は同じ学校。中学の時はクラブも一緒だった。卓球部なのだけど。
初めて彼女が卓球をしているのを見た時、まだ1年生だったのだけれど他の女の子達、先輩の女の子達よりずっとうまいと思った。それが初めての印象。きっと運動神経が良かったんだと思う。
時々学校の廊下ではすれ違うことがあったし、何度も話しをした事もある。とてもかわいい子だった。
でも、高校の時の彼女のことはほとんど覚えていない。俺には他に夢中になっていた事があったから。
一度だけ俺の友達が俺の家に連れてきたことがあった。その時はその友達の彼女になっていた。けれどその日の二人が何となく自虐的な感じだったので、彼女を送らせて帰ってもらった。ちょっと寒くなった雨の日だった。
それから何年が過ぎただろう・・・、時々行く仙台のスキーや山用品のショップに買い物をしに行った時、彼女がそこでバイトをしていた。
胸にネームプレートをしていたが、苗字は違っていたから結婚をしていたんだと思う。
俺はひと目で彼女だと分かり、彼女の方も俺のことを覚えていてくれたのが嬉しかった。
高校の時から年月を重ね彼女はすごくきれいになっていた。またそれがとても嬉しかった。


2013年09月23日

 偶然行きつけのパン屋で会った。たしか、一つ年下だったはずだ。
彼女は同じ中学だったが名前は知らない。通った高校は違っていると思う。
会ったのは何年振りになるのだろうか。
多分娘であろう中学生の女の子とパンを選んでいた。見た瞬間に俺は彼女だと分かったが、一度も話しをしたことが無いので、言葉はかけられず何となく様子をうかがっていただけだった。
それなりに年は取っていたが、きれいで幸せそうな年の取り方をしていると感じた。
店の中では娘が「このパンを買っていい?」と聞いていたのだろうか、それに答えて静かにうなずいていた。あれこれと注文を付ける様子も無かった。なんだかあの中学生の頃と変らずにいるようだった。
そういえば当時少し癖っ毛だったのだが、やっぱり今でも軽くウェーブがかかり少しは長くしている程度にしか髪型も変っていなかった。あまりにもあの頃のままだったので、それが逆に新鮮だった。
中学の時、彼女の仲良しグループは結構目立っていて、そのグループとは何度も話しをしたとことがあるのだが、彼女はいつもそのグループのちょっと後ろの方から微笑んでいるだけなので、ついに彼女とは話しをしなかったのである。
きっと彼女は俺の事は覚えてはいないだろうなぁ。



2013年09月14日

 仙台の国立療養所西多賀病院に入院していた時に6下8号の同室で一番仲良かった。
彼はペルテスという病気で股関節の骨に問題があった。その病院はペルテスの子供達もも多く入院していたが、彼もその中の一人であった。
タイプで言えば遊ぶ時には先頭を切って走っていくという感じと言えば想像できるであろうか。
病院からは歩いてはいけないと言われていたにもかかわらず、時々いたずらで歩いたりもしていた。またそれが妙におかしくて回りからは受けていた。もちろん彼もその受け狙いで歩いたりしていたのだが・・・。(笑)
小学校の5年生という年ごろだと、あまり意見の対立ということは無いと思うのだが、それでもあの病室のみんなはよくまとまっていたんじゃないかなぁ。彼もまとめ役の一人だったが。
ちゃんと完治することができたのだろうか、ただでさえペルテスの治療には長い時間がかかると聞いている。彼も1年はその病院にいたはずである。同室には3年も入院しているという子供さえいたので、1年はまだほんの駆け出しというところだったろう。
その後、仙台市内の工業高校に進んだと聞いたが、今はどこでどんな仕事をしているのか。


2013年09月06日

 中学の時の同級生である。
確か1年の時は同じクラスだったと思うのだが、2年生からは別々で高校も違う学校に通っていた。
同級生でしかも中1は同じクラスなのだから特に仲が良かったという訳でもなでくても当然話しはしたことがあるし、一緒に遊んだこともある。
それでも中学を卒業して以来、会う事も滅多に無く彼女のことは忘れかけていたのだが、仙台に就職してから地元に残っていた連中や仙台に来ていた連中と皆で一度飲もうということになった時、その彼女も集まった。
日頃から交流のあった連中はどんな風になったか知っていたけれど、その彼女と会うのは本当に久しぶりだったので想像もできなかった。あるホテルのロビーで待ち合わせということになって時間より少しだけ早く着いて皆を待っていたが、その彼女は他の連中よりもちょっと遅れてホテルの玄関から入って来た。
見た瞬間に彼女だと分かったが、思い描いていた女性とは少し違ってすごくきれいになっていた。ひょっとしてそれは、白いコットンのワンピースとかかとの低いパンプスにごまかされたのかもしれない。
その時彼女は幼稚園の先生をしていた事、弟とアパートに住んでいる事、それまでに何度か恋に破れ辛い思いをした事なんかをお酒が進むにつれ徐々に話してくれた。
彼女に会ったのはそれ一度限りだったが、友達から聞いた話によると、素敵な彼ができて結婚したという。
今は素敵なお母さんになっているのだろうか。

2013年08月24日

 いつもギターを持って大人の病棟から遊びに来ていたお姉さんだ。
小学校5年生の時に仙台のベットスクールに入院していたのだが、時々他の病棟から色んな人が遊びに来ていた。
その内の一人だったが、覚えているのは彼女が髪を長くしていて少し丸顔、スカートをはいていたということだった。多分20歳をいくつか過ぎていたと思うのだが、11歳の俺にとってはすごくお姉さんに思えた。
持ってきたギターで童謡なんかの皆が良く知っている歌を弾いて歌ってくれて、すごく人気があった。
彼女はなんの病気でどのぐらい入院していたのか、また俺が退院した時もまだ病院にいたのかは知らない。
そして、彼女が遊びに来てくれたのは2回しか知らないのだけれど。
ずっと長い事、記憶の底に埋もれていたのだが、平井堅が歌ってヒットさせた「大きな古時計」を聞いた時に、彼女の姿が鮮やかによみがえってきた。


2013年08月15日

 小学校4年生のときに同じクラスだった女の子だ。
彼女のお父さんは全国的な運送会社で働いていた関係もあって、小学校4年になる時に山形のほうから転校してきた。そして小学校5年に上がる時に、またどこかへ転校して行った。
学校からの帰り道は途中まで一緒ということもあって、よく一緒に遊んだり彼女が住んでいた社宅にお邪魔したりしたことがある。
友達からはその後の彼女の話しを聞いたことがないので、ひょっとしたら記憶の中から消えてしまっているのかもしれないが、俺は当時彼女が好きだったので今でも記憶に残っている。
彼女は活発で男の子たちともよく遊んでいたし、運動だって得意な方だった。そしてよく大きな声で笑っている子だったなぁ。
多分小さい時は転校で色々学校を移ったと思うのだが、彼女なら転校先でいっぱい仲のいい友達を作れたんじゃないのかな。
今では病院の駐車場になってしまったが、そこを通るたびに彼女がそこに住んでいたのだなぁと思い出す。

2013年08月05日

 彼は俺よりも3つ年上で、高専生だった。
一関にあった音楽サークルの中心的存在で、とても個性的な人だ。そのサークルは2:10という音楽好きの高校生が参加していたが、俺も1年生の時から仲間たちと参加していた。ちなみにこのサークルからは「NSP」というプロのフォークグループも生まれた。
この2:10という名前は、土曜日の午後2:10からミーティングが始まるということに由来している。そんなサークルに毎週顔を出すのが、他に楽しみも見いだせないでいた俺は大変好きだった。
2:10にはとても個性が強くて面白い人たちも多かったが、彼はひときは目立った存在だった。しかしサークルをぐんぐんと引っ張っていくというタイプではなく、自分の好きなことをしているという感じ。そしてリーダーをサイドから支えているとう感じであった。そして、サークルの宴会部長でもあった。
ディープ・パープルのコピーを中心にハードロック系のバンドでドラムを叩いていた。特に力強くて切れのいいスネアの音が印象的だった。
すでに車の免許を持ち、おんぼろの車を運転していた。
頭にはパーマがかかっており、歩くたびにその髪の毛がふわふわと動いていたのを覚えている。
いろいろな意味で俺にとっては、とても大人に思えたのだ。
高専は5年間の履修だが、彼は6年在籍してるという話しを聞いたことがあるがその真相は定かではない。
しかしちゃんと卒業して彼の地元の電気系の技術屋になったという話しは、彼が卒業してしばらくしてから聞いた。
その後、2年ぶりに偶然に行きつけの店で彼と会ったが、あの頃のパーマは取れていてワイシャツとネクタイという想像もできなかった姿だった。(笑)

2013年08月01日

 山の手線で電車内で出会ったおばあちゃんとその孫の女の子である。
その日俺は吉祥寺に住む友達の所へ遊びに行くために、京浜東北線・赤羽線を経由して池袋から新宿へ山の手線に乗っていた。車内は平日の午後ということもあってさほど混雑はしていず、ゆったりとつり革につかまりながら外の景色を眺めていた。
高田馬場を過ぎたあたりで、目の前に座っている女の子が俺を見ながらクスクスと笑っているのに気がついた。「どうしたの?」と聞いてみると、「着ているものが変だ」ということらしい。着ているものというより着方が変だというのだ。
その当時、トレーナーを裏返しに着るのが流行ったことがあったのだが、俺もそのようにオフホワイトのトレーナーを裏返しに着ていた。
そんな事から話が始まり、その女の子は小学4年生でその日は新宿のおばあちゃんの家に泊りに行くのだという。横に座っていたのがそのおばあちゃん、眼鏡の奥で目が笑っている、とても優しそうなおばあちゃんだった。
俺は新宿から中央線に乗り換え、おばあちゃんと女の子は新宿で電車を降りた。
2、3日吉祥寺の友達のところで遊んだ後、また蕨のアパートに戻るために新宿で中央線から山の手線に乗り換えた。
なにげなく車内のつり革につかまろうとした時、「こんにちは」という女の子の声。
その声に気がつくと、またあのおばちゃんと女の子の前に立っていた。
あの大都会、東京・新宿でまたも同じ組み合わせ。こんな偶然があるのだろうか。俺はなんだか嬉しくなってしまった。
前とちょっと違うのは、俺がトレーナーではなくポロシャツの上にジャンバーを羽織っていたことだった。


2013年07月25日

 あの道しか選ぶことができなかったのか・・・。
彼のうわさは別の学校だったにもかかわらず、中学のころから聞こえてきた。同じ学年なのだが、すごくギターがうまいらしい。高校も別々だったが彼のギターに関する噂はますます大きくなっていた。当然彼も仲間を集めてバンドを組んでいた。
彼のライブを何回か見る機会があったが、確かに速かった。指の動きがものすごく速かった。
彼とは高校3年生の夏祭りの時に一度だけライブを一緒にやった。
その時には学校をサボって彼の家で遊ぶぐらいの仲になっていた。俺の通っていた高校の近くにあったから、ちょっとサボって遊ぶには都合が良かったのだ。
しかし知らせは突然やってきた。
俺とバンドを組んでいたやつが、授業中にもかかわらず廊下から壁越しに教えてくれた。
その授業が終わるのを待って彼の家に行ってみた。そこには彼の同級生が何人か集まっていた。
彼にかける言葉が無かった。ただ彼の使っていたギターから音を出してみただけだった。
あの人は今・・・安らかに眠っているだろうか?

2013年07月18日

 市内にある県立高校の受験の日、彼女は俺の隣の机に座っていた。
彼女は俺とは違う中学校から受験に来ていたのだけど、なんとなくちょっかいを出してみたくなり、話し掛けて見た。何を話し掛けたのかは覚えていないけど、多分出身中学校のことを聞いたんだと思う。
その受験から1ヶ月ほどで高校生活がスタートしたのだが、偶然にも彼女は俺の前の席に座っていた。本当のことを言えば、俺は彼女に声をかけたことすら忘れていたのだが、彼女の方は覚えていて、そのことを笑いながら話してくれた。
彼女は背中の真中ぐらいまである髪の毛を一本の三つ編みにしていた。俺は後ろの席からそれを面白がって引っ張ったりして遊んでいた。妙にそのことが懐かしい。
同じクラスだったのは1年生の時だけで、その後一緒のクラスになることはなかった。
高校を卒業して1年か2年過ぎた時に、友だちがやってるバンドのライブがあったのだが、そのライブは高校の同窓会みたいな感じで、お客のほとんどは同じ高校の出身者だった。
そのライブに彼女は友だちと来ていた。
ちょっとだけ話しをしたのだが、思わずビックリするぐらいにきれいになっていた。
トレードマークだった三つ編みの髪の毛は、肩ぐらいの長さになっていて、軽くパーマがかかっていた。
その後の彼女のことは知らないが、大学が教育学部だったから学校の先生になったのかもしれない。

2010年6月のある日、同級生からメールが来た。
彼女の訃報を伝えるメールだった。
どうして亡くなったのかは分からないが、ご主人から同窓会の案内に載っていた別の同級生のアドレスへ、葬儀まで済ませているというメールが来たという。
あまりに早い彼女の死。
ご冥福をお祈りします。
合掌。。。



2013年07月13日

 彼女は左目の下に涙を流したような跡がある、小さくてかわいい女の子だった。
彼女は俺の中では小学校4年生のときだけ同じクラスだったという記憶しかない。いや、その4年生のときだけ同じ小学校に在籍していたという記憶しかない。
妙にやせっぽっちで華奢、そして小柄だった。クラスごとに男女別れて整列すると、彼女は一番前で俺は二番目がレギュラーポジションだったから、そのことだけはよく覚えている。
彼女のことをここに書こうと思ったら、その他のことの記憶が無いのに気づいた。
みんなでよく一緒に遊んだはずなのに。
4年生が終わると彼女はお父さんの転勤で県北の小学校へ転向していった。


2013年07月08日

 中学の時の同級生である。
彼は家の事情で中学3年生のときに転校してきて、俺の家から割と近くに下宿していた。 元々は小学校も同じだったというが多分同じクラスになったことは無かったので、小学生時代の彼のことは知らない。
中学生で下宿生活というのは俺達からすれば、ずいぶんと珍しく素敵(笑)な生活に思えた。
で、当然のごとく彼の部屋は溜まり場になったのだが、その下宿の大家という人は尊大というべきか無関心というべきか、飛び切りうるさくしない限りは入り浸っていても注意もしてこなかった。(笑)
中学の3年の時は話が合うことも多くよく遊んだのだったが、高校に入ってからは彼は家族と一緒に暮らすことになったということもあり、4月に一度だけ泊まりに行って遊んだというぐらいだった。
そうこうしているうちに、彼は彼のペースで回りに友達もでき始めたり、俺は俺のほうでバンド活動に熱中して行ったりして、ぱったりと交流が途絶えてしまった。
その後、俺も高校を卒業して蕨市で暮らすようにり、彼のことを思い出すことも無くなったのだが、ある日突然彼から電話がきた。
その時東京に出てきて暮らしているらしく、会わないかとの誘いだったのだが都合が悪かったので、また後で会おうという約束をしたのだったが・・・。
それから何年過ぎたただろうか、彼から電話がくることは無かった。
友達の噂で陶芸の道に入ったということは聞いたのだが、誰に聞いてもそれが本当のことなのか、その道で飯を食っているのか・・・、それとも別の道を見つけたのか全然分からないままになっている。


2013年07月04日

 俺が中学生のときに一関にあった3人組のアマチュアのバンドだ。
あれからずいぶんと年数が経ったから存在はしないだろう、いやメンバーも散り散りになっているかもしれない。
当時あちこちで小さなコンサートがあったのだが、そのコンサートによく出演していた。
バンドの構成は当時メジャーだった「シグナル」というグループと同じように生ギター2人とエレキベースというものだった。
コンサートではいくつものバンドが少ない持ち時間で出演していたので、当然彼らも数曲しか演奏はできなかったのである。
そんな彼だったが、曲と曲の間合い、しゃべりが面白くオリジナルの曲もしっかりしていたので、結構固定的なファンはいたようだ。
成り行きはよく覚えていないのだが、なぜか彼らと交流が始まり、俺が高校に入り本格的(?)にバンド活動をはじめたころに、彼らがいつもラストで演奏していた曲をプレゼントしてくれた。
その後、社会人と高校生だったということや音楽の方向性の違いなどから自然と疎遠になってしまい、高校を卒業するころには彼らのコンサートに出かけることも無くなってしまった。
そして俺が成人して一関に戻ってきたころには、彼らの所属してた団体そのものが無くなってしまっていた。

2013年06月30日

 もうずいぶんと昔の話しである。彼女の名前さえも思い出せない。
覚えているのは彼女が大学生という事、バイト先は喫茶店という事、からし色のダウンジャケット着て来た事。
専門学校の卒業を1ヶ月後に控えたある日、クラスのいつものメンバーと飲みに行った。 その日はメンバーだけではなく、合コンという話しなのでちょっと着飾って参加した。
入ったのはこれまたいつも行く東池袋のちょっと広めの店だ。
ほどなく合コン相手の女の子たちが入って来た。
「あれ、ちょっと人数が少ないなぁ」と、俺はここで戦線離脱。(笑)
早々と戦線離脱した他の二人と、これまたいつもの車の話しで盛り上がった。その当時も今の時代と変らず走る事が好きな連中はいるのだ。その前の年に行った箱根ターンパイクや筑波山有料道路、首都高など定番のコースの攻め方、はたまた族のブッチギリ方まで議論は白熱していた。(汗)
場がそれぞれに盛り上がって来た頃、その彼女が俺の隣に移動して来た。
車の話しにでも興味があるのだろうか、何に興味を引かれたのか俺達のグループに加わった。きっと俺に興味があるのだろうと勝手に思いこみ、その時から彼女の隣で飲んだ。(笑)
彼女は次の日、朝からバイトだというので終電が無くなる前に池袋から気持ち的に彼女の家まで近い新宿に移動して、また飲み始めた。「寝不足じゃバイトが辛い」という彼女を説得して、結局明るくなってから始発でみんなそれぞれ散り散りに帰って行った。
卒業式には謝恩会というのが付き物というのは知らなかった。
当日、クラス全員と担任の先生を囲んで1次会をしたのだが、その記憶は全然残っていない。
2次会をいつものメンバーでいつものところでするというので、ちょっと酔っぱらいながら東池袋の店まで行った。またこの前の合コン相手のメンバーも来るという。
今晩でこの連中達とも彼女たちともお別れである。それぞれが違う道を歩き始めるのである。自然と話題もそういう話しになり卒業式の晩という雰囲気だ。
「住所ぐらい、教えなさいよ」と彼女。
覚えたての新しい住所を紙に書き、彼女に渡した。
いつものように池袋から新宿に移動し、そこでいつものように朝まで飲んだ。
新宿駅で俺は外回り、彼女は内回り。山の手線のホームでお互いにお互いを見送った。
そして2日後、俺は仙台に引っ越した。


2013年06月27日

 あるお婆さんとそのお孫さんの女の子のことである。
初めて社会人になり仕事にもなれてきた頃、工期が3ヶ月もある現場の検査を会社から任された。
その現場は宮城県内を通る東北自動車道のインターチェンジ近くにあり、ほぼ毎日のように高速道路を使い現場まで通っていた。
インターチェンジを降り現場までの田舎道に小さな食料品店兼雑貨屋があった。今で言うコンビニのようなものだが、店自体は古くから商売をやっていたようで、決して立派できれいとは言えなかったのだが・・・。
普段なら現場まで直行するところなのだが、その日・・・つまりお婆さんと女の子に会った日は仕事開始時間までいくらか余裕があったので、その店でアイスクリームを買おうと仲間数人で店に入っていった。
それぞり好きなアイスクリームを手に取り代金を払おうとしていたとき、中から女の子が出てきた。笑顔がかわいい女の子でみんなとわいわい話をしたりした。それから時々昼食を食べてきた後や仕事がえりにその店に寄るようになっていた。
仕事仲間は・・・もちろん俺も含めて彼女と話ができることうれしかったのだが、店に通うようになって1ヶ月位過ぎたある日に彼女が庭先に洗濯物を干している姿をみて、仲間全員がなんとなく彼女の異変に気が付いた。・・・・お腹が大きくなっているような気がしたのである。
そっとお婆さんに聞いてみると、もうすぐ結婚することになってるらしいのだ。俺たちはお婆さんに「おめでとう」と言って現場に向かった。
それから時間が過ぎ通いつめた現場が終了することになった。
現場の最後の後片付けをして会社に帰る途中に、あの店に顔を出してみた。
いつのまにか彼女は結婚していて姿はあらわさなかったが、相変わらずお婆さんがにこやかな顔で迎えてくれた。
現場が終了してもうこの店にも来れないということを告げると、お婆さんは「元気でやりなさいよ」と目を涙でうるませていた。
 通っていた現場は大きな工事のほんの一工区にすぎず、実は仙台に向かって延々と続く工事だったのである。
1年と半年を過ぎた頃に、入札で落札した工事はあの現場の近くの工区だった。
近くといっても山をひとつ越えるような所だったのだが、現場の空き時間に通い詰めた仲間を連れてあの店に訪れてみた。
相変わらずお婆さんは店の奥からにこやかに俺たちを迎えてくれ、いっつも買っていたアイスクリームを冷蔵庫からだしてきてサービスしてくれた。
あれからずいぶんと時間がたってしまったが、あのお婆さんは健在なのだろうか?
女の子や産まれた子供はどうしてるのだろうか?

2013年06月23日

 俺が初めてラブレターらしい物をもらった相手である。
その時俺は小学校の5年生で彼女は1年下の4年生だった。
当時俺と彼女は仙台の国立病院に入院していた。俺はその病院に8ヶ月間入院していたのだが、その病院には小中学校が併設されていて病室がそのまま教室になり、朝はちゃんと先生が来るという「ベッドスクール」になっていた。
俺も彼女も外科系の病気で入院していたので、リハビリ以外の時は元気に遊び回っていた。
病棟は別々だったのだが学年が1つ違いと言う事で、よく何人かの友達で遊んでた記憶がある。
確か夏が終りに近づいていた頃、彼女がいつものように俺の病室に顔を出した。たぶん何か冗談なんかをいいながら笑っていたと思うのだが、突然彼女が白い封筒を俺に手渡して病室を出て行ってしまった。
彼女がいなくなり手渡された手紙を読んでみると、なんとそれは俺宛のラブレターだった。今ではそのラブレターの内容は全然思い出せないが、文面を読んでいる時に心臓がバクバクと早打ちしていたことは今でも忘れてはいない。そしてその返事さえ書く事ができなかった。
その後その彼女とは何事も無かったようにそれまで通りに遊んでいたが、俺の方が彼女よりも一足早く退院してしまった。
あれからずいぶんと年月を重ねたが、彼女は多分、今ではいいお母さんになっているだろう。


2013年06月15日

 仕事上の先輩である。
俺は学校を卒業して仙台の小さな会社に就職したのだが、そこで色々とお世話になった先輩である。
その会社は「非破壊検査」という一般にはなじみが無い業種で、仕事の内容といえば検査はもちろん、百戦錬磨の現場監督から溶接屋の職人さんまで相手にするのが常だった。
そんな中で仕事の手順はもちろんコツや作業員の相手の仕方を教えてくれ、なんとか仕事が出来るように力を貸してくれた。
元々その彼は営業向きだったようで人当たりもよく、初めての現場でもスムーズに相手とのコミュニケーションを取れる人だった。
そう言うこともあって、初めての現場に出向く時に彼とチームを組めると非常にスムーズに仕事が進むのである。
そんな彼がその会社を去ることになった。
その理由は良くわからなかったが、12月の大雪が降る仙台の街で送別会をしたことを今でも覚えている。


2013年06月07日

 その彼は、東京・錦糸町の出身だった。
親父さんは歯科技工士だと聞いたが、それ以上のプライベートなことは知らない。
専門学校のオリエンテーションの日、俺はまだ回りの連中とは馴染めず一人で教室の机に座っていた。
少し遅れて彼が俺の隣に座り、「出身はどこ?」と言うようなことから会話が始まったように思う。それから数人が加わって、何となく仲のよいグループができた。
Kを最後に見たのは、夏休みが終り授業が始まってから数日たった土曜日だった。
その日授業が終り教室を出ようとした時に彼は「いつもの茶店で待ってるからよ」と誘いをかけてきたが、別の友達と麻雀の約束があったのでその誘いを断った。
翌月曜日からKは教室に姿を見せなくなっていた。何日か授業を休むことは誰でもあることなので、その内に出てくるのだろうと思っていたが、いっこうに授業に出てくる気配は無かった。何週間かしてから、Kは学校を辞めたのだと気が付いた。
あの日Kは俺に学校を辞めるということを言おうと思い茶店に誘ったのだろう。
おそらく俺がKの話しを聞いたからといって、退学を思いとどまったとは思えないのだが、彼の最後の話しを聞いてやれなかったことをずっと後悔している。


2013年05月30日

 彼は転校生だった。
小学校の何年生の時に転校してきたのかは知らないが、他の学校に転校していったのは5年生になる時だったと思う。 確か彼の父親が気象庁関係の仕事をしていた関係で、ずいぶんと学校を転校したと聞いた。
でも、俺は彼とはずいぶんと仲良く、俺の家から少し離れたところのアパートに住んでいたのだが、何度か遊びに行った記憶がある。
彼は頭がよかったんじゃないかと今でも思い出すことがある。
算数での四角形を何個か組合わせた図形の面積の計算問題で、彼と俺は度々先生に指名されて黒板に面積の解き方を書いた。俺の解き方はいたって単純に複数ある四角形を個別に計算して、最後に全部合計するというやり方だった。それに比べてかれの計算の仕方は・・・・文にすると難しい・・・どう比べたって彼の解き方の方が合理的でスマートで計算の手間も少なかったのだ。
その時の俺は人前で問題が解けるということで張り切っていたのだが、何年後かにその光景を思い浮かべた時に彼のやり方の方がずっといいのだと気付いた。
今はどこに住んでいるのか身近な友達に聞いても分からない。きっと気象関係の仕事についているのかもしれない。

2013年05月28日

 彼女のことは名前も住んでいた所も知らない。
彼女に初めて会ったのは、俺が蕨に住んで1年を越えた頃だったと思う。
俺が住んでいたアパートの近くにあったコンビニでバイトとして働いていた。レジにいた彼女を見た時、「可愛い女の子がいるなぁ」と思ったのだが、会計をするのが精一杯で声をかけることはできなかった。
それからしばらくの間、そのコンビニで彼女の姿を見ることは無かったのだが、1ヶ月ぐらいたったある日に、また彼女の姿がその店のレジにあった。その時の彼女は髪の毛をカーリーヘア−にして、イメージが変えていた。また、それはそれで可愛いのである。
その時もまた、声をかけないまま店を後にしてしまったのだが、それ以来彼女の姿は、そのコンビニで見ることはなかった。
もしあの時、声をかけていたら・・・。

とりす
なかなか納得できる一枚が撮れなくて四苦八苦してるけど、撮りためた写真をブログでもアップ。


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